戸草城 (とくさじょう)
所在地 長野県上水内郡信濃町大字富濃129 2019.9.1
戸草城 (とくさじょう)
所在地 長野県上水内郡信濃町大字富濃129 2019.9.1
登城ルート
戸草公会堂・由来碑(右端)
護国庵の由来碑文
無縫塔
主曲輪
西側土塁
北側堀跡
南東土塁
南側(芋川用水)
戸草城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 信濃町大字富濃の鳥居川が蛇行する地点に突き出た平地にあり、北側を山に囲まれた閉鎖空間となっており、天然の要害を思わせる。
西側の森の中に土塁が残り、歴代護国庵主のものと思われる無縫塔が並んでいる。また森の北側に幅広の堀の一部が残っている。
【案内】 戸草公会堂(表記番地)の道路向かいの森の中に土塁が残り、北側に堀の一部が見られる[マップコード54 702 778*28]。
鉄道建設の昭和35年頃まで護国庵があり、公会堂前に護国庵の由来碑が建てられている。
南側にも土塁と思われる高まりがあり、芋川用水が通っている。
【歴史】 養和元年(1181年)木曽義仲が平家追討のため、この地に来て城を築き、武士を集め軍馬を調練して越後から越中へ攻め上ったという。
その後、寿永二年(1183年)五月の俱利伽羅峠の戦いで平家軍を破った翌年、頼朝の軍勢と戦い近江国粟津で討死した。
訃報に接した村人は悲しみ、慰霊のため戸草城の一角に護国庵を建立したという。