南真志野城 (みなみまじのじょう)
最寄地 長野県諏訪市大字湖南南真志野4855−2 2019.8.17
南真志野城 (みなみまじのじょう)
最寄地 長野県諏訪市大字湖南南真志野4855−2 2019.8.17
登城ルート(緑線は車道)
No56鉄塔西の林道(登り口)
北東段郭
2郭切岸
2郭・奥が主郭
主郭・土塁
櫓台
背後の大堀切
大堀切(横から)
南真志野城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m(鉄塔背後より)】
【感想】 諏訪市大字湖南の西から伸びた標高1030mの尾根先端部に築かれている。
主郭の北に2m程低く2郭があり、その北に2段の段郭が見られる。
主郭の西に櫓台があり、背後に大堀切が見られる。堀切の西に帯状の鞍部郭があり、西端は細尾根になって、山に続いている。
鉄塔のある急斜面の尾根を直接、熱中症気味になり登ったが、遠回りなようでも林道を使って鉄塔西に回り込み、そこから登った方が良い。
【案内】 中央自動車道跨道橋を渡って、南に行くと「南真志野配水池」がある[マップコード75 026 408*73](地図)。
そこより約200m西へ行きT字路を右に未舗装林道を行くと、間もなく「御嶽社」の岩場がある。未舗装林道をさらに登ってカーブを大きく折り返してゆくと、No56鉄塔背後に着く[75 026 431*73](地図)。
ここはカーナビにルート表示されないが目標点として利用でき、その手前に路駐する。写真の登り口より急な尾根を登ってゆくと、段郭に着く。その南に2郭・主郭があり、西側に櫓台があり、その背後に大堀切が残っている。
【歴史】 築城年代は不明であるが、天文十一年(1542)の頃、矢島満清が城主であったと云われる。
天文十一年(1542年)高遠頼継は諏訪総領職を継ぐべく、武田信玄や金刺氏と結び、上社の禰宜を兼ねていた矢島満清と共謀し諏訪へ侵攻した。
武田信玄はすぐ応戦し、干沢城での攻防となり高遠頼継は敗走、捕えられた矢島満清は禰宜職を免じられた。
その後、天文十七年(1548年)七月、諏訪を占領した武田氏に対し、矢島氏をはじめとする西方衆は、小笠原氏と通じて立ち上がったが、武田信玄に鎮圧された。