松岡城 (まつおかじょう) (町の史跡)
最寄地 長野県下伊那郡高森町下市田4389 2017.9.8
松岡城 (まつおかじょう) (町の史跡)
最寄地 長野県下伊那郡高森町下市田4389 2017.9.8
登城ルート
5の堀
松源寺山門
4の堀の石垣
3の堀
3郭
2の堀
2郭・松岡氏慰霊碑
1の堀
1郭・城址碑
松岡城 1郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 天竜川右岸へ向け、間ヶ沢と銚子ヶ洞の深い谷に挟まれた東へ伸びる舌状台地にあり、1~5の郭とそれぞれを隔てる、空堀がよく残っている。
【案内】 県道15号線より松源寺(表記番地)に向かうと、松源寺北西に5の堀があり、松源寺の駐車場が利用できる[マップコード143 163 266*76] 。
南東300mの間に1~5の郭と堀が残り、5郭に松源寺が建てられている。4の郭(駐車場)東に横堀がある。3郭は果樹園となり、2郭は芝地で慰霊碑が建てられている。
1郭は土塁が残り、虎口が残り、南東端に城址碑が建てられている。
昭和六十二年(1987年)10月12日、高森町の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は定かでないが、南北朝時代、松岡氏によって築かれ、それまでの居城松岡古城から移った 。 応永七年(1400年)、信濃守護小笠原長秀が国人領主連合軍に敗れた大塔合戦に、小笠原方として松岡次郎が参戦した。
天文二十三年(1554年)、武田信玄の伊那谷攻略により鈴岡城主小笠原信定が敗れると、松岡氏は武田氏に帰属し、伊那衆として山県昌景の配下となった。
天正十年(1582年)、松岡頼貞は、武田勝頼を滅ぼし伊那谷の支配者となった徳川家康に従った。
天正十三年(1585年)小笠原貞慶が徳川方保科正直の守る高遠城を攻めた際、松岡貞利がこれに加担した。
天正十六年(1588年)家康より改易を命じられ、井伊直政にお預けとなり、松岡城も廃城となった。