深草館 (ふかくさやかた) (深草城・深草塁)
所在地 山梨県北杜市長坂町大八田 2015.9.13
深草館 (ふかくさやかた) (深草城・深草塁)
所在地 山梨県北杜市長坂町大八田 2015.9.13
登城ルート
北東より遠景
北西入り口・空堀
北郭
南郭
南郭の西側の土塁・堀
南側空堀
深草館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 八ヶ岳の南麓、金生遺跡の南約200mに位置する。西側の農道横に駐車スペースがあり、丸太3本の橋が架けられた入口がある[マップコード 537 631 190*11](地図)。
北の郭と南の郭に分かれ、夫々土塁が一周に亘ってよく残っている。東側から南側に深い空堀が残っている。北側から西側は小さな川が流れている。2つの郭は中央でつながっている。
案内板や碑など一切なく、遺構はよく残っているので、駐車場、碑等の設置が待たれる。県の史跡に指定され、個人の所有者により維持管理されている。
【歴史】 『甲斐国志』に、「相伝フ清光ノ臣堀内某居之 子孫堀内下総守ノ子主税助ノ時城陥リ落魄セシト云々」や「堀内下総守 深草城墟ト云所アリ 相伝ヘテ城主下総守 其次ハ主税助 宮内左衛門ナリト云」と記されている。
又、堀内下総守については、『武田御日牌帳』に元亀二年(1571年)・天正四年(1576年)銘での記述がある。
12世紀前半、逸見清光の家臣堀内氏が居住した。 子・信義は武田氏を名乗った。
代々武田氏に従った後裔の下総守の子、主税助の代、天正十年(1582年)武田氏滅亡の時落城したとされる。