浦佐城 (うらさじょう) (浦沢城) (市の史跡)
所在地 新潟県南魚沼市浦佐 2022.12.3
浦佐城 (うらさじょう) (浦沢城) (市の史跡)
所在地 新潟県南魚沼市浦佐 2022.12.3
登城ルート
登り口・説明板
4郭
3郭下の横堀
3郭下の稲荷神社
3郭・主郭切岸
主郭
2郭主郭間の堀切
2郭
2郭西の2重堀切
浦佐城2郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高150m】
【感想】 魚野川に向け西から伸びた標高約288m地点に2郭があり、東に堀切を挟んで細長い主郭、3郭と並んでいる。3郭の南東下に4郭があり、横堀がある。
特に2郭西の土橋付の2重堀切は草が多いが見応えがあり、その西に少し離れて深い堀切がよく残っている。
【案内】 県道71号線横に登り口があり説明板が建てられている[マップコード140 290 856*17](地図)。道路が広く集落外れに路駐した。また雪対策のためか、説明板はブルーシートで養生されていた。
そこから遊歩道が設けられ主郭2郭間の堀切に通じている。
昭和五十六年(1981年)3月30日、南魚沼市の史跡に指定された。
【歴史】 応永二十八年(1421年)頃、上田長尾氏の家臣大関氏により築かれ、居城とした。浦佐城主・大関親信の子親憲は、景勝を支持していたが、水原(すいばら)へ移り水原親憲を名乗った。その後、謙信の臣・清水藤左衛門が守将となった。
天正六年(1578年)三月、上杉謙信が急死すると景勝と景虎の間で相続争いが起きた(御館の乱)。
同年九月、景虎の援軍として、北条軍が関東から侵攻し浦佐城(城主清水藤左衛門)を含む南魚沼の諸城を攻撃した。
翌年二月、景勝は北条軍の再攻撃に備え清水藤左衛門に浦佐城の守備を固めさせた。