峯城 (みねじょう)
最寄地 三重県亀山市川崎町2699 2016.9.1 2019.7.9
峯城 (みねじょう)
最寄地 三重県亀山市川崎町2699 2016.9.1 2019.7.9
説明板
登城ルート(緑線は車道)
南側登り口・説明板
虎口
本丸・空堀
天守台
天守台西下の曲輪
二郭・土塁
かんざし井戸
かんざし井戸側(北側)入口
峯城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 県道637号線の「JA鈴鹿川崎支店」(表記番地)の東に「左前方 峯城址」の道標があり、農道を北に約140m行き、左折して100m行くと駐車スペースがある[マップコード213 506 703*73]。
そこより畑横を行くと、獣除けフエンス扉があり説明板が建てられた南登り口がある(地図)。
山の西側を行き、城址碑より右に登ってゆくと虎口に出、左に登ると土塁と空堀のある本丸がある。土塁を辿って北に行くと、天守台跡がある。
戻って、虎口より北に行くと、天守台下の曲輪がある。更に北東に行くと、桝形虎口があり、二の郭に土塁が残っている。桝形を下ってゆくと、落城の際、城主夫人が入水したと云われる「かんざし井戸」が残っている。その先は墓地で、北口につながる。
そこより、墓地横を通りソーラーパネルのある手前を東に行くと、北入口があり、道路反対側に駐車できる[マップコード213 536 316*43](地図)。
昭和四十四年(1969年)3月28日、三重県の史跡に指定された。
【歴史】 正平年間(1346~70年)に関盛忠の五男・峯政実によって築かれたと云われる。
以後、六代続いたが、天正二年(1574年)、峯八郎四郎盛祐が長島一向一揆で討死すると弟与八郎が幼小であったため、岡本良勝(宗憲)が峯城主となった。
天正十一年(1583年)、賤ヶ岳の戦いの前哨戦で滝川一益の家臣滝川益重によって攻められ峯城は落城、一旦益重のものとなったが、羽柴秀吉が大軍を率いて峯城を包囲し、数ヶ月の籠城の末に兵糧が尽きて益重は開城した。この戦いの後、織田信雄の家臣佐久間正勝が入城した。
天正十二年(1584年)、秀吉と信雄が対立すると、小牧・長久手の戦いの前哨戦として秀吉は蒲生氏郷、関一政などに命じて峯城を攻めさせ、わずか数日で落城した。
天正十八年(1590年)岡本良勝(宗憲)が亀山城に移されるにあたり廃城にされたと伝えられる。
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