小山城 (こやまじょう)
所在地 静岡県吉田町片岡2519 2013.9.7 2014.7.1
小山城 (こやまじょう)
所在地 静岡県吉田町片岡2519 2013.9.7 2014.7.1
復元大手門
三重堀・勘助井戸
模擬天守・堀
本丸・城跡標柱
堀・三日月堀・馬出し
小山城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 城跡は「能満寺山公園」として整備され、北の空き地に駐車できる[マップコード83 719 178*13](地図)。橋を渡り南に行くと、大手門が復元されている。
大手門の南に三重の堀が残り「勘助井戸」や「供養塔」がある。能満寺山公園として、三日月堀・馬出しや土塁が整備され、虎口の橋が掛けられている。三重堀の南西に「吉田町郷土資料館」が建てられている。
南西の三の丸には犬山城風の天守台・天守閣(表記番地:昭和六十二年)が模擬再現され資料館・展望台となっているが、過去に小山城に天守閣が存在した事実は無い。
堀の東に芝生広場があり南の高台に祠が祀られ、その南に「虚空蔵尊」、「能満寺」がある。
【歴史】 当初、今川氏により遠江南東部の大井川西方に築かれた山崎の砦が始まりであった。今川氏を倒した武田氏により、元亀二年(1571年)築城された。
縄張りは馬場信春、城将は大熊備前守朝秀(長秀)であり、諏訪原城と共に大井川西方の防衛拠点を形成し、高天神城攻略の拠点となった。大熊朝秀は越後国箕冠城を出奔し、永禄六年(1563年)に武田氏に仕官した人物である。
諏訪原城落城後は、高天神城への補給路の要となったが、天正十年(1582年)甲州征伐のため駿河・甲斐に向け出陣した徳川家康によって攻められ落城した。