山口城 (やまぐちじょう)
最寄地 岐阜県本巣市文殊1‐16 2014.11.27 2014.12.10
山口城 (やまぐちじょう)
最寄地 岐阜県本巣市文殊1‐16 2014.11.27 2014.12.10
説明板
登城ルート(緑は中の城/赤は山口城/青は法輪寺城)
山口城主館跡・碑
文殊の森公園登り口
中の城跡・展望台
山口城跡標識
山口城主郭跡
法輪寺城堀切
法輪寺城主郭跡
山口城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高250m】
【案内・感想】 「文殊の森公園」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード477 021 147*17]。
西に公園が整備されメイン道路(防火帯林道)が標高341mの「望郷の展望台」・法輪寺城跡(中の城)下まで通じている。その道路の途中、「野鳥観察舎」から西に登り尾根を南に約100m行くと標高約320mの頂上に「中の城跡」がある(地図)。
「中の城跡」には南端に展望台が建てられ、山口城跡(西の城)の支城で一体となっている。
北に40m行くと標高344.5m比高250mの権現山頂上に「山口城跡」主郭跡がある。山口城跡には「山口城跡」の標識があり、案内板が建てられている。北から西に帯曲輪がある。
法輪寺城跡(地図)は「防災行政無線」設備・鉄塔が建てられ、西側に堀切がある。
西側山麓の「道の駅・織部の里もとす」に織部展示館があり、その北100m、国道157号線に面して「清須口登城道跡」の石碑がある。登り口は荒れていて判然としない。
樽見鉄道「織部駅」ホームに「山口城主居館跡」の説明板が掲示され、線路を挟んだ北西、フエンスの中に「山口城主居館跡」石碑が建てられ(地図)、約100m四方の居館跡に、土塁・堀が残っている(本巣市山口430)。鬱蒼とした竹林となり、南側に入口がある。
【歴史】 天文十三年(1544年)に古田重定の子・古田織部(重然)が生まれた。
永禄十年(1567年)織田信長が岐阜城に入城後に、織部は信長に仕え、その後、秀吉に仕えた。
天正十二年(1584年)に古田織部は山口城主となり、翌年には、山城西ケ岡3万5千石の大名になった。茶人でもあり「利休七哲」の一人とされる。
関が原の戦いでは家康方に付き、二代将軍秀忠の茶道指南役も務めたが、元和元年(1615年)に謀反の嫌疑をかけられ、長男重広とともに自害した『現地案内板参照』。