長島城 (ながしまじょう)
所在地 三重県桑名市長島町西外面2188 2016.4.2
長島城 (ながしまじょう)
所在地 三重県桑名市長島町西外面2188 2016.4.2
長島中部小学校・説明板
長島中部小学校・説明板
説明板
縄張り図
大手門
大手門説明板
奥書院
長島城 本丸跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 国道1号線「又木」交差点より西へ約120m、左折約100m行くと左手に「蓮生寺」(長島町又木77‐1)があり、明治九年(1876年)大手門が移築されている。瓦に増山氏の家門が残っている。
本丸跡とされる桑名市立長島中部小学校(表記番地)の校舎東側に説明板が建てられている。遺構は無い。本丸の西南隅にあった、樹齢三百数十年の黒松がある
また、深行寺(長島町殿名891)に奥書院が移築され、居宅となっている。
【歴史】 文明年間(1469~87年)に伊勢国安濃郡の長野氏一族と伝えられる伊藤重晴が長島を治め築城したと云われている。
その後、長島杉江に在った願証寺が浄土真宗の一大拠点となると、伊藤氏は滅ぼされ、長島城も願証寺の支配下に入った。
元亀二年(1571年)五月に長島一向一揆が起き、織田信長の攻撃を受け、天正二年(1574年)に包囲され、敗れた。その後、滝川一益の居城となった。
江戸時代に入ると、菅沼氏が入ったが、元和七年(1621年)菅沼氏が移封され一時廃城となった。
慶安二年(1649年)松平康尚が那須より移り、長島藩主となった。元禄十五年(1702年)増山正弥(ましやままさみつ)が常陸下館城より移され長島2万石の藩主となり、明治維新まで増山家が続いた。
明治五年(1872年)廃藩置県と共に廃城となった。