井上城 (いのうえじょう) (県の史跡)
最寄地 長野県須坂市井上2618 2015.9.5
井上城 (いのうえじょう) (県の史跡)
最寄地 長野県須坂市井上2618 2015.9.5
登城ルート(緑は小城/青は居館跡)
桜井戸・登り口標識
井上山側堀切1
井上山側堀切2
大城虎口
大城・城跡碑
大城・城跡碑
大城西堀切
小城虎口
小城
井上城大城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【案内・感想】 浄雲寺(表記番地)に駐車できる[マップコード54 169 164*47] 。その東側に「桜井戸」があり、墓地の間を登ってゆくと、登り口がある(地図)。
木道を少し行き、標識があり右に九十九折れの道を登ってゆくと尾根に出、左に井上山の方へ向かうと、3本の立派な堀切がある。戻って西に向かうと、説明版があり、その西に堀切があり、2段になった腰郭があり、その上の比高約170mの最高所に、東西30m南北15mほどの大城主郭がある。
主郭には銅板製説明板が建てられ、「大城跡」の新しい看板が立てられている。主郭の南には帯郭がある。
大きな堀切を経て西へゆくと、3重の堀切があり、登ってゆくと小城主郭があり(地図)、「小城跡」の小さな説明板が立てられている。また小城より北に下ってゆくと道路横の擁壁の階段登り口に至る(地図)。
昭和四十年(1965年)2月25日、居館跡と共に[井上氏城跡]として長野県の史跡に指定された。
【歴史】 井上城は、井上山の麓の館と、詰めの城として井上山の尾根上に築かれた、この地方の豪族井上氏の城である。
戦国時代、井上達満は上杉氏に味方し、武田氏に味方した同族の須田信頼らと争った。
天文二十二年(1553年より永禄七年(1564年)の十一年間に五度の「川中島の戦い」が行われたが、ここや若穂の陣屋で上杉謙信は作戦の指揮を執った。 その後井上達満は武田氏によりこの地を追われたが、天正十年(1582年)に上杉景勝が川中島を領有したため、旧領に復帰した。
慶長三年(1598年)上杉景勝が会津に移封されると、達満も会津に移住し、城は廃城となった。なお、土栗には井上氏の墳墓がある。