八田氏屋敷 (はったしやしき) (八田家御朱印屋敷)
所在地 山梨県笛吹市石和町八田334 2015.8.23
八田氏屋敷 (はったしやしき) (八田家御朱印屋敷)
所在地 山梨県笛吹市石和町八田334 2015.8.23
東側・橋
移築表門・石碑
公園・モニュメント
八田家書院
土塁・説明板
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 八田家(表記番地)の南側に駐車場が用意されている[マップコード59 557 041*66] 。
南側は石造モニュメントの置かれた公園となっており、周囲に堀がめぐらされ、北側に土塁(地図)が残っている。表門を入ると書院が建てられ、保存されている。
【歴史】 八田氏は八田権頭宗綱(常陸国宇都宮氏流)の末裔とされるが、詳細は不明である。戦国時代武田氏に仕え、八田家は武田氏の蔵前奉行として、年貢の収納、軍糧の輸送を司っていたため、天正十年(1582年)三月、織田軍の兵火に罹り、居宅その他ことごとく焼失した。
同年六月本能寺の変で織田信長が倒れると、同年七月、徳川家康入国の際、徳川家に隷属した。3400坪の屋敷地が御朱印地として安堵され、家康から万力御林の材木を賜って母屋を造立し、また慶長六年(1601年)都留郡富士根の材木を賜って書院を構築した。
茅葺入母屋造、桃山時代末期の武家書院様式で、補修を重ね現在まで保存されていた為、昭和三十六年12月7日、山梨県指定文化財となった。
また表門は寛文元年(1661年)石和代官所創設の際、代官平岡勘三郎良辰が石和代官所表門として建立したものを、明治七年(1874年)十一月払い下げを受け八田家の表門として移築した。『八田家御朱印屋敷説明板』より。