護摩堂城 (ごまどうじょう) (町の史跡)
最寄地 新潟県南蒲原郡田上町田上乙1370 2017.6.5
護摩堂城 (ごまどうじょう) (町の史跡)
最寄地 新潟県南蒲原郡田上町田上乙1370 2017.6.5
登城ルート
説明板
登り口
谷砦跡
竪堀
空堀・土橋
蔀石塁
主郭・土塁
城址碑・土塁
蔵屋敷跡
護摩堂城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 田上町にある護摩堂山の北尾根続きの標高271mの山頂にあり、竪堀、空堀、蔀(しとみ)石塁、土塁、櫓台などよく残っている。
【案内】 県道55号線より入った温泉旅館(表記番地)の先に駐車場が用意されている[マップコード32 160 544*11](地図)。
駐車場北のトンネルは一方通行出口で帰り時の通行には注意を要する。
車止めより約1.8㎞の道があり(茶屋への物資搬入)、途中に竪堀、谷砦跡、空堀・土橋などが標識を付けられ夫々見ることが出来る。延々となだらかな道を登ってゆくと100m手前付近より遊歩道となり、コの字型の蔀石塁がある(崩れている)。
主郭には休憩所、城址碑、案内板が建てられており、土塁と櫓台が残っている。少し下ると蔵屋敷の曲輪があり、その下に紫陽花が植えられ、茶屋へ至る。
昭和六十二年(1987年)11月17日、田上町の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代末期、在地領主平賀宝山が要害を築いたと伝えられている。
史料によると、応永三十年(1423年)越後を二分した「越後応永の大乱」のとき、守護(上杉頼方)方の中条房資(ふさすけ)が中郡(なかごおり)の守護代長尾邦景方を討つため揚北(あがきた)から進出し、護摩堂城に立て籠もって戦ったのが初見である。
永正六年(1509年)永正の乱の時、守護代長尾為景側が死守した重要拠点の一つとされる。
上杉景勝の時にも番城として使われたが、(1598年)上杉景勝の会津移封で廃城となった。