白山城 (はくさんじょう) (要害城・鍋山砦) (国の史跡)
最寄地 山梨県韮崎市神山町鍋山2584 2013.12.22
白山城 (はくさんじょう) (要害城・鍋山砦) (国の史跡)
最寄地 山梨県韮崎市神山町鍋山2584 2013.12.22
登城ルート
白山神社・登り口
二の丸跡
本丸跡
土橋
本丸北の空堀
三の丸跡
白山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 韮崎市神山町鍋山の標高661mの山頂に築かれている。3つの主要郭と土塁、空堀がよく残っている。
【案内】 県道12号線「神山町」交差点より西に行き、右折して行くと「白沢橋」に出る。その先前を左折、沢の北側堤防道路を西に行き、広くなって所に駐車する。沢の南にはムク台の入口がある。
白山神社(表記番地)[マップコード167 411 489*37]入口周辺には駐車スペースは少なく、参道は鳥獣避けフェンスで囲われている(地図)。
石段の東の鉄扉を開けて(落し錠を開け、また閉めておく)、白山神社に向かって左より遊歩道がある。200mほど登ると二の丸虎口に着く。振り返ると富士山が望める。
二の丸のすぐ上、比高約100mの山頂に土塁をめぐらした本丸跡があり、城跡看板が建てられている。本丸の西に空堀、三の丸、蔵跡がある。
平成四年(1992年)には県史跡の指定を受け、平成十三年(2001年)1月29日、北烽火台跡、ムク台跡と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 甲斐源氏逸見源太清光の子信義は聖地逸見庄から分封して武田庄の庄官として武田八幡宮で元服し、武田太郎と名乗った。信義は要害城を八幡宮の南の山に築く(後世山麓の白山社にちなみ白山城とも呼ばれた)。
信義の後は、武田一門の子一条忠頼、その支族・武川衆の青木氏、山寺氏が守った。
天正十年(1582年)、織田信長の甲州征伐で武田氏が滅亡したが、本能寺の変で信長が死去すると武田遺領を巡り徳川家康と北条氏が争った(天正壬午の乱)。
その際、武川衆は徳川氏に従い、北条への備えとして城を修築したと考えられている。江戸初期の寛文年間(1661~73年)に廃城となった。