浅井城 (あさいじょう) (丸山城)
最寄地 富山県高岡市福岡町赤丸5323 2017.6.23
浅井城 (あさいじょう) (丸山城)
最寄地 富山県高岡市福岡町赤丸5323 2017.6.23
登城ルート(緑線は車道)
林道終点の直前
林道終点・説明板
説明板
縄張図
堀切
主郭
帯郭
二郭
浅井城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 清水山(標高174m)から南東に伸びる尾根先端(標高54m)に位置している。当初登り口が判らず、南東側用水路の橋より直登した。放置された状態で歯朶類が密生していた。
西に200mほど歩いて行くと、林道終点に出、説明板が建てられていた。
【案内】 浅井神社(表記番地)[マップコード122 862 580*40]右より北西に林道を約600行き[マップコード122 891 054*21]、左に大きく曲がり、尾根を南東に約500m行くと、終点に駐車スペースがあり、説明板が建てられている(地図) 。
2郭は約50×70mと広く、主郭は2段になっている。南に帯郭があり、西側に堀切が残っている。
【歴史】 延元年間(1336~40年)、石黒光景によって築かれた。
興国二年(1341年)には南朝方であった光景によって宗良親王が浅井城に奉迎されている。
勝興寺の坊官・下間氏(しもつまし)が神保長職との戦いで一時的に拠っていたとされる。
天正年間(1573~92年)、五位庄の領主であった中山治部左衛門国松が拠り、弟の次郎兵衛を赤丸城に配置している。その後、上杉謙信によって攻められたという。
天正九年(1581年)、中山氏が佐々成政の配下となる。
天正十二年(1584年)、中山直治が能登国末森城の攻防戦において初陣を飾っている。
天正十三年(1585年)、富山の役によって佐々成政は豊臣秀吉に降伏して越中国新川郡に追われ、佐々成政に与した中山国松は浅井城を退去した。その後、間もなく廃城になったと思われる。