長浜城 (ながはまじょう) (国の史跡)
所在地 静岡県沼津市内浦長浜174‐6 2014.6.12
長浜城 (ながはまじょう) (国の史跡)
所在地 静岡県沼津市内浦長浜174‐6 2014.6.12
城跡碑・登り口
堀切・第四曲輪
虎口石垣
門跡
第三曲輪
弁財天
第二曲輪・虎口石垣
第二曲輪・建物跡
第二曲輪・空堀
第一曲輪・土塁
長浜城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 「長浜釣堀観光センター」(表記番地)の西(城跡見学者の駐車可)に城跡解説版、城跡碑があり、弁財天神社の朱鳥居がある[マップコード116 332 632*08](地図)。
石段を登ってゆくと、堀切があり、その南に第四曲輪がある。北に行くと虎口石垣や門跡が復元され、土塁の残る第三曲輪とその下段に弁財天神社がある。
更に北に行くと虎口石垣がある第二曲輪に着く。土塁が残り、建物が平面復元され、堀が発掘されている。
北の階段を登ると本丸(第一曲輪)で北側に塀の柱が復元されている。本丸からは四方が開け、内浦の海岸やヨットハーバー、駿河湾の先に霊峰富士が望める。
昭和六十三年(1988年)、国の史跡に指定された。
【歴史】 室町時代から北条氏に仕えていた大川氏が居城としていた。
その後、武田勝頼が狩野川沿いに三枚橋城(のちの沼津城と同地)を築城したため、水路を絶たれた北条氏が天正七年(1579年)頃、北条水軍の基地として改修した。
武田水軍との幾多の戦いの際の発進基地ともなっており、天正八年(1580年)には千本浜(三枚橋城西約1㎞)沖で、後に駿河湾海戦と呼ばれる大規模な海戦が起きた。
そして、天正十八年(1590年)、豊臣水軍の侵攻の際は土侍が敗走、一戦も交えず陥落した。築城時期、終焉時期の明確な記録は不明である。