八神城 (やがみじょう) (県の史跡)
所在地 岐阜県羽島市桑原町八神1998 2014.12.10 2019.10.22
八神城 (やがみじょう) (県の史跡)
所在地 岐阜県羽島市桑原町八神1998 2014.12.10 2019.10.22
城跡標柱
土塁・大銀杏・説明板
説明板
八神領主館趾の石碑
真福寺の山門(移築城門)
金宝寺
金宝寺にある八神毛利氏歴代の墓
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 木曽川右岸堤防の西に位置している毛利縫製(表記番地)が城跡で、建物前に八神城跡の標柱が建てられている。
居住されている毛利家の子孫・古老の話では、堀を含めた城域は100m四方に及び、昭和三十三年まで小学校が建っていたという。
土塁の一部が残り土塁上に「八神領主館趾」の石碑、大銀杏がある。その前に大銀杏の説明板と城跡の古地図・説明板がある[マップコード28 038 644*13](地図)。
銀杏は江戸時代初期に八神氏が居城を下中町石田から八神に移したのちに植えられたと伝わる。横に「八神尋常高等小学校跡」の石碑が建てられている。
南方約1.5kmの真福寺(羽島市桑原町前野1093−1)の山門は移築された城門と伝えられる[マップコード28 007 168*32]。
また西方約300mの金宝寺(羽島市桑原町八神2221)に八神毛利氏歴代の将棋駒の形をした墓が並んでいる。
昭和四十四年(1969年)1月22日、岐阜県の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は、鎌倉時代の説と江戸時代の二説があるが、鎌倉時代の説が有力とされる。 鎌倉時代、尾張国長岡庄石田郷(後の尾張国中島郡石田村)の司職である毛利氏が、居城を八神に移した(時期は不明)。
毛利氏は戦国時代に中国地方を支配した毛利氏とは異なり、源氏の河内源氏の末裔という。
毛利氏は、戦国時代、土岐氏、斎藤氏、織田氏等に仕えた後、尾張徳川家に仕え、八神城を中心とした一帯を治めた。江戸時代は一国一城令により正式な城ではなくなったが、明治元年まで残り、明治維新後八神城跡の一角に居住していた。