【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 光通寺(表記番地)の山門横に由来説明板があり、墓地の奥に宝篋印塔、「佐々成政城址」の石碑が建てられている[マップコード4 528 255*75](地図)。
【歴史】 天文年間(1532~55年)佐々成宗(成政の父)により築かれ東西68m南北72mで二重堀が巡らされていたと云われる。
佐々成政は織田信長の家臣で、朝倉攻め、長篠の戦いなどの功により、天正三年(1575年)越前国小丸城主となって移り、廃城となった。
成政は、天正十一年(1583年)越中富山城に移った。
天正十五年(1587年)肥後国領主となった。『名古屋市教育委員会説明板』より。
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