松根城 (まつねじょう) (国の史跡)
最寄地 石川県金沢市竹又町10−13 2014.10.27
松根城 (まつねじょう) (国の史跡)
最寄地 石川県金沢市竹又町10−13 2014.10.27
登城ルート(緑線は車道)
馬場跡広場
配置図
空堀・土橋・本丸虎口
本丸跡・城址碑
本丸跡・城址碑
二の丸跡
三の丸跡
松根城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内】 国道359号線より南へ約3㎞行った「チェリーゴルフクラブ」(表記番地)のゲート手前を左折し、すぐ北西に行くと駐車場がある[マップコード122 394 368*47](地図)。
富山県との県境の標高309mの松根山頂にあり東西約100m、南北約300mの広さがある。
南の低地に広い馬場跡があり、北に虎口があり空堀のある細長い曲輪をゆくと、本丸跡がある。
本丸跡には「松根城址」の石碑が建てられ、案内板があり、展望は良く利く。少し下がった北に、細長い二の丸、三の丸が並んでいる。
現在は城址公園として整備され、昭和四十九年(1974年)3月1日、金沢市指定の史跡となった。
その後、平成27年(2015年)切山城・小原越と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は不明である。寿永二年(1183年)に木曽義仲が陣を張ったと伝えられる。
次いで南北朝の争乱では、正平年間(南朝暦・1346~70年)直常の子である桃井直和が城主となり、一乗寺城を管理下に置いた。
応安二年(南朝暦・1369年)六月、桃井直和が加賀国守護富樫昌家の居城である富樫城を攻めるも吉見氏の援軍により撤退し、一乗寺城に篭った。
同年九月十七日、吉見頼顕の軍勢によって一乗寺城は落城し、直和は千代ヶ様城へ退却した。直和はこの翌年、斯波義将の軍勢と交戦し敗死している。
長享二年(1488年)に一向一揆衆徒の城となり、天文十九年(1550年)には一向一揆衆の洲崎兵庫が城主となった。
その後、織田信長が一向一揆を平定し、織田氏の属城となる。天正十二年(1584年)には佐々成政の家臣・杉山主計が修築し守備していたが、前田利家の家臣・村井長頼に攻略された。
同年、村井長頼の本城となり一乗寺城は支城となった。
慶長二十年(1615年)六月発令の一国一城令により廃城となった。