不動山城 (ふどうやまじょう) (市の史跡)
最寄地 新潟県糸魚川市越2420 2017.6.7
不動山城 (ふどうやまじょう) (市の史跡)
最寄地 新潟県糸魚川市越2420 2017.6.7
説明板
登城ルート(緑線は車道)
御殿屋敷・土塁
狼煙場
2ノ防堀
2の丸
井戸・本丸登り坂
本丸
城趾碑
不動山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 早川左岸の標高447.3mの不動山山頂に、上杉氏の春日山城の支城として築かれた。
本丸北から東の10m下に帯郭がある。竪堀が草に埋もれているが3ヶ所大手道を防御している。
【案内】 県道270号線の越簡易郵便局(糸魚川市越135)より早川を渡り左折、200m行くと不動山城跡入口がある(地図)。
そこより約2.6㎞登ってゆくと表記番地東に不動山農村公園駐車場がある[マップコード157 019 629*36](地図)。
山麓南に御殿屋敷があり、登ってゆくと狼煙場があり、3ヶ所竪堀(防堀)が残っている。井戸が2ヶ所残り、三の丸、二の丸があり、南の最高所に帯郭を伴った本丸がある。本丸にはテレビ中継塔が建てられ、「不動山城趾」の石碑がその横にある。
昭和四十五年(1970年)3月26日、糸魚川市の史跡に指定された。
【歴史】 戦国時代、上杉謙信の家臣山本寺(さんほうじ:三本寺)の居城で、春日山城の支城の一つ。山本寺氏は、越後守護上杉氏の一族上杉景貞が山本寺と称し、不動山城を築いたことにより興ったといわれている。
天正六年(1578年)謙信死去による跡目争い(御館の乱)で山本寺家は兄弟が敵味方に分かれ、山本寺定長が上杉景虎に加勢したため、上杉景勝の攻撃を受けて敗北した。
景勝に与した弟孝長が城主を継いだが、天正十年(1582年)魚津城の戦いで戦死した。