津幡城 (つばたじょう)
所在地 石川県河北郡津幡町清水リ123−3 2014.10.27
津幡城 (つばたじょう)
所在地 石川県河北郡津幡町清水リ123−3 2014.10.27
津幡小学校の碑
説明板・忠魂碑
説明板
津幡城址の碑
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 町立津幡小学校グランド南西の一段高い所に忠魂碑が建てられ、「津幡城址」のコンクリート造の碑がある[マップコード336 013 434*30] (地図)。台地の前に説明板が建てられている。グランド南に旧校舎が建っていた。
昭和三十九年(1964年)5月7日、津幡町指定文化財(史跡)となった。
【歴史】 寿永二年(1183年)源平合戦の折、倶利伽羅峠の一戦を前に、平維盛が、小高い丘に砦を設け布陣したことに始まる。
建久元年(1190年)には、井上庄の地頭津幡隆家が居城とした。観応二年(1351年)には、富樫氏春がこの城で、桃井直常軍と戦っている。
天正四年(1576年)から一向一揆が立て籠もっていたが、天正九年(1581年)織田方の柴田勝家らに攻められ落城した。
天正十一年(1583年)前田利家の支配するところとなり越中に対する備えとして城を築き、弟の前田秀継に守らせた。
天正十二年(1584年)九月、佐々成政の末森城攻めの際、佐々軍攻略の軍議をここで開いた(末森城の戦い)。
天正十三年(1585年)利家が加賀・能登・越中三国を支配するようになり、前田利家の末弟である前田秀継が木舟城に移ると廃城となった。『津幡町教育委員会説明板』より。