福島城 (ふくしまじょう)
所在地 新潟県上越市港町2丁目16−1 2014.10.3
福島城 (ふくしまじょう)
所在地 新潟県上越市港町2丁目16−1 2014.10.3
案内板
古城小学校
石垣・福島城址碑
福島城資料館・城跡碑
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 市立古城小学校(表記番地)敷地の北西角に模擬石垣があり、上部に石碑、横に「案内板」があり、プレハブの資料館がある[マップコード126 646 330*82] (地図)。石碑は本丸を囲む堀の南西角に位置する。
【発掘調査】 福島城跡は昭和四十二年(1967年)から部分的に発掘調査が行われ、石垣遺構や陶磁器片などが出土したが、縄張りの全体像や建造物については判明していない。福島城の名残をとどめるものとしてはわずかなものしかなく、本丸跡東南隅土塁と隅櫓礎石、土塁の腰巻石である。
【歴史】 慶長三年(1598年)上杉景勝会津移封の後に、越前北ノ庄18万石から45万石へ加増移封され春日山城主となった堀秀治により、春日山城に代わるものとして築城が始められた。その正確な時期は明らかでないが、慶長五年(1600年)以降まもなくであろうとされる。
慶長十一年(1606年)秀治の死後家督を継いだ堀忠俊の代に完成し、慶長十二年(1607年)に忠俊は春日山城を廃して福島城へ移った。
城下町建設にあたっては、春日山城下や府中から多くの町人が移住したと伝えられる。
慶長十五年(1610年)堀家の御家騒動で堀忠俊が改易された。代わって徳川家康の六男・松平忠輝が信州川中島より75万石を以て福島城主となった。忠輝は慶長十九年(1614年)、関川を遡った内陸部に高田城を築城した。これにより福島城は廃城となった。
高田城下の町人町には、福島城下から移転したという由緒を伝える町が少なくない。廃城にして高田城に移った理由は、川に挟まれた場所故に度々水害にあった為と言われているが、一説には忠輝の『波の音で眠れない』と言った我侭によるものとも言われている。