和田城 (わだじょう)
最寄地 長野県小県郡長和町和田2657 2015.11.28
和田城 (わだじょう)
最寄地 長野県小県郡長和町和田2657 2015.11.28
登城ルート
登り口
石尊神社
堀切・橋
主郭・土塁・祠
堀切・竪堀
堀切
詰郭の北の二重堀切
詰郭・三角点
詰郭の南堀切・竪堀
和田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【案内・感想】 信定寺(表記番地)の北150mにある県道178号線「釈迦堂橋」手前の墓地の前に駐車できる。墓地横に登り口があり、手摺のある遊歩道が設けられている[マップコード468 445 831*12](地図)。
比高70mほど登った尾根の北端に「石尊神社」があり、神社裏の橋の架けられた堀切を渡ってゆくと、比高約80mの和田城跡主郭に着く。「和田城跡」標識が立てられ、土塁が南側に残り社がある。
南に竪堀に続く二重堀切がある。主郭に近い方は深く、竪堀に続いている。その南に段々になった二の郭があり、南側は三重堀で切断されている。
さらに南に登ってゆくと東斜面に数か所の竪堀があり、二重堀切とそれに続く竪堀があり、登ると標高1016.7m比高約150mの最高所(地図)に詰郭がある。
詰郭は平坦で、三角点が設置されている。その南に空堀、堀切がある。
【歴史】 武石にいた大井氏の一族が和田に移り、和田城を築き居城としたといわれている。
『高白斎記』の天文二十二年(1553年)8月1日の条に「八月朔日乙亥、長窪へ御陣居られる。和田城を攻め為され、城主其外、悉く打ち取り為され、3日、高鳥屋へ見物に登り、4日戌寅、高鳥屋籠城衆、悉く打ち取り、同内村落居、申の刻勝利」とあ記され、天文二十二年(1553年)長窪城に拠っていた武田軍に攻められ、落城した。