刈谷原城 (かりやはらじょう) (苅谷原城・鷹巣根城)
最寄地 長野県松本市刈谷原町472 2019.9.7
刈谷原城 (かりやはらじょう) (苅谷原城・鷹巣根城)
最寄地 長野県松本市刈谷原町472 2019.9.7
登城ルート(緑線は車道)
登り口
最初の堀切
2番目の堀切
3番目の堀切
南の郭(奥が主郭)
主郭・標柱
北東下段の堀切
北西の郭
北西の郭下段の堀切
刈谷原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 松本市刈谷原町の標高896.6mの城山に築かれている。
主郭の北西と南に小郭があり、尾根をそれぞれ堀切で防御している。なだらかな南尾根には3条の堀切があり、守りが厳重となっている。
【案内】 国道143号線より刈谷原集落に入り、集落南の表記番地より登ってゆくとフエンス扉があり、開け閉めして峠に駐車できる[マップコード158 238 135*20]。
国道トンネルが開通するまではこの峠が往還であったという(確かに未舗装ながら幅4m程ある)。
石垣と6本の電柱間から北に登る(地図)。民家の見える付近から折返し、放置され草は多いが、なだらかな遊歩道を登ってゆく。最初の尾根(トンネルの上)から右へ登ってゆくと写真の止山がある。
尾根伝いに北に行き、3条の堀切を経て南の郭に着く。横堀を経て主郭があり、「鷹巣根城跡」の標柱が建てられ、松の古木横に祠が祀られている。
北西に小郭があり、その先に堀切が残っている。また北東尾根にも小郭、堀切が見られる。
【歴史】 戦国時代に、海野氏の一族刈谷原五郎幸棟により築かれたと云われる。
その後、小笠原氏の家臣太田資忠が城将であったが、天文二十二年(1553年)四月、武田信玄に攻められ落城した。