府中城 (ふちゅうじょう) (越府城)
所在地 福井県越前市府中1丁目13-7 2017.8.5
府中城 (ふちゅうじょう) (越府城)
所在地 福井県越前市府中1丁目13-7 2017.8.5
越府城址碑
越府城址碑
越府城址碑
本多富正公顕彰碑
正覚寺山門の移築表門
府中城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 越前市役所敷地とJR武生駅からの大通りとして整地され、遺構は消滅している。
【案内】 越前市役所(表記番地)の正面玄関横に「越府城址」の由来碑、「本多富正公顕彰碑」が建てられている[マップコード200 560 017*87] 。
またその西、正覚寺に移築された府中城の表門が残っている。
【歴史】 文明年間(1469~87年)、越前国守護朝倉氏の府中奉行所の構築に始まると云われている。
朝倉氏滅亡後、天正三年(1575年)に織田信長によって府中を与えられた前田利家が日野川を堀として利用して本格的な城を築城した。
天正九年(1581年)、利家が能登国に封じられると、改めて前田利長(利家の嫡男)に府中城が与えられた。
天正十一年(1583年)賤ヶ岳の戦い後に越前が丹羽長秀に与えられると利長は加賀国の松任城に移された。長秀の没後に丹羽家が減封されると、木村重茲・青木一矩が城主となった。
慶長六年(1601年)越前国が結城秀康に与えられると、その重臣本多富正が、3万7千石で入った。富正は慶安二年(1649年)府中城で没し、 以後、明治維新に至るまで本多氏代々の居城となった。
明治五年(1872年)進脩小学校が建てられ、その後武生東小学校と改称された。
84年後、小学校は中北府町へ移転、その跡地に市庁舎が建てられた。