黒滝城 (くろたきじょう)
所在地 新潟県西蒲原郡弥彦村麓 2014.7.20
黒滝城 (くろたきじょう)
所在地 新潟県西蒲原郡弥彦村麓 2014.7.20
説明板
登城ルート(緑線は車道)
登り口
三ノ堀切(大堀切)
天神曲輪・土塁
城址標柱・祠
二の曲輪
桜井の大曲輪
大蓮寺曲輪
吉傳寺曲輪
三の曲輪
黒滝城 天神曲輪跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高150m】
【案内・感想】 県道2号線と県道440号線より西に県道440号線を約1.6㎞行き、南に林道黒滝要害線(舗装)を1.9㎞ほど行くと麓地区よりの比高約150m(標高約190m)の峠に駐車場があり、登り口、説明看板がある[マップコード190 007 472*68](地図)。
国上山の北に位置し、標高約205mの城山に主な六曲輪から構成された山城である。
東に登ってゆくと、「参ノ堀切」という底辺が5m位の大堀切がある。「二ノ堀切」、「一ノ堀切」を越えると、33m×16mの「天神曲輪」がある。西に土塁が残り、戦死将兵慰霊の祠と「黒滝城跡」碑がある。
東の切岸の下段に54m×22mの「二の曲輪」があり、十六世紀後半の黒滝城黄金時代の城主山岸出雲守入道光祐(みつすけ)の子秀能(ひでよし)の守備陣地である。
その下段に38m×28mの「桜井の大曲輪」があり、直径6mの「桜井戸跡」がある。南に下って登ると40m×40mの「大蓮寺曲輪」、下ると「桜清水・曲輪群」、「鷲沢の井戸」がある。
南に登ると30m×24mの「吉傳寺曲輪」がありその上段に60m×10mの「三の曲輪」(地図)と続き桜井曲輪に遊歩道がつながっている。
【歴史】 築城年代は定かでないが、鎌倉時代には小国氏一族が在城した。
室町時代の永正六年(1509年)大須賀志摩守、その後黒田和泉守秀忠が城主となったが、天文十四年(1545年)長尾晴景に反抗したことで、弟景虎(上杉謙信)軍により攻められ、天文十五年(1546年)黒田秀忠は切腹、一族は討ち果たされた。
景虎は、上杉家の重臣山岸出雲守光佑を城主とし、以後山岸宮内少輔秀能(ひでよし)・山善左衛門尉慶綱らが城主となった。
慶長三年(1598年)上杉景勝の会津移封により山岸氏一族もこれに従った。山岸氏の会津移住後、黒滝城は廃城となった。『弥彦村教育委員会現地看板』より。