矢田城 (やたじょう)
最寄地 新潟県柏崎市矢田96 2018.11.13
矢田城 (やたじょう)
最寄地 新潟県柏崎市矢田96 2018.11.13
登城ルート
駐車場・城址碑
市道横の登り口・標柱
本丸切岸・空堀・手前は二の丸
本丸北西側の堀切
本丸
櫓台・本丸
櫓台・説明板
説明板
矢田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 柏崎市市街に向けて伸びた標高74mの尾根先端部に築かれている。西に2つの郭があり、空堀で隔てられている。赤田城の南西約3.8kmに位置している。
【案内】 県道73号線に面して「矢田ポケットパーク」があり、城址碑が設置されている[マップコード187 465 838*63](地図)。
歩道を南に登ると、土塁のある平坦地があり、そこを抜け畑の先に市道が通っており、少し北に行くと「矢田城跡登り口」の道標が建てられている。
階段を上って左に行き、遊歩道を登ると本丸に着く。
本丸は段々になり最高所に櫓台があり、説明板が建てられている。本丸の西側下段に2の丸、3の丸がある。本丸2の丸間の空堀は、草木が茂っているが、1.5mほどの深さがある。
【歴史】 築城年代・築城者は定かでないが、戦国時代には北条城主毛利氏の城代家老石口広宗が居城した。
天正六年(1578年)の「御館の乱」では、北条高広・景広父子は上杉景虎方に与して御館に入り景勝方と対峙したが、翌、天正七年の御館落城時に景広は討死し、居城北条城も景勝方に攻められ開城した。
この時の北条城代が石口広宗であった。広宗は、北条城開城後上杉景勝に許され、上杉軍の猛将として各地を転戦した。
後天正十年(1582年)織田軍に包囲された魚津城の籠城戦で上杉十三将の一人として自刃した。