樺沢城 (かばのさわじょう) (樺野沢城・鞠子城) (県の史跡)
最寄地 新潟県南魚沼市樺野沢30 2014.7.19 2015.8.15
樺沢城 (かばのさわじょう) (樺野沢城・鞠子城) (県の史跡)
最寄地 新潟県南魚沼市樺野沢30 2014.7.19 2015.8.15
登城ルート(緑は御屋敷跡)
御屋敷跡・城跡碑
登り口の橋
土塁・空堀
三の丸跡
二の丸跡
大空堀
本丸跡
本丸西側空堀
西の丸跡
樺沢城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高90m】
【案内・感想】 白銀荘(樺野沢162)付近から南西のかけての水田一帯が屋敷跡であり「樺澤城跡」・「御屋敷跡」の石碑が建てられている(地図)。
県道451号線に面して「樺沢城小泉屋敷跡」の石碑、看板がある(地図)。「樺沢城上田橋跡」、「樺沢城吉町跡」、「樺沢城中屋敷跡」、「樺沢城元屋敷跡」等の石碑が100m×200mの水田や住宅横に建てられている。
城主の館「御館跡」の石碑は上越線のすぐ東にある。
樺沢城跡登り口は龍澤寺(樺野沢30)の前の道路脇にある[マップコード253 384 851*17]。入口橋の横に「御館の乱追悼碑」が建てられている。
登ると間もなく空堀土塁があり望楼跡がある。そこを直進すると大手道で、西の丸を経て本丸西の大空堀・竪堀が残っている。
望楼跡より右に登ると三の丸に「三の丸跡」の石碑がある。その上段にやや広い二段になった二の丸がある。
その先に最大深さ20mの大空堀がある。二の丸虎口より右に下って行くと空堀があり、「胞衣(えな)塚」があり登って行くと樺桜があり、比高約90mの山頂に本丸がある。
昭和四十七年(1972年)11月29日、新潟県の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代、新田義貞の家臣田中右衛門尉が居城し、鞠子城と称した。上杉時代は樺沢城と称し、はじめは坂戸城主長尾氏の番城であった。
その後、上杉謙信の越後平定後は春日山城の番城となり、上杉氏の関東進出の宿城となった。城代は栗林、黒金、宮嶋、登坂氏が当たった。
天正六年(1578年)御館の乱に際し、上杉景虎への援軍を率い、北条氏照・氏邦(景虎の兄)らは入越すべく、同年八月三国峠を越えて荒戸城、坂戸城を望む樺沢城を奪取し、坂戸城攻略に着手した。
しかし冬季が近づき、北条勢は樺沢城に氏邦・北条高広らを置き、北条景広を遊軍として残し、撤退をした。
この機に、坂戸城を守る栗林政頼らは攻勢に転じ、追討した。翌年二月北条軍は雪中に孤立し敗残した。