木場城 (きばじょう)
所在地 新潟県新潟市西区木場 2014.7.21
木場城 (きばじょう)
所在地 新潟県新潟市西区木場 2014.7.21
説明案内板
上越新幹線・模擬櫓・説明板
模擬櫓・橋
四阿・滑り台
木場八幡宮
木場城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道46号線が上越新幹線高架橋と北陸自動車道に挟まれた所の南に位置する[マップコード32 570 790*04]。
「宮のもり・木場城公園」として整備され、推定地に堀、橋、模擬櫓が建てられている。現在、遺構は無くなっており、城跡の一角に木場八幡宮が建てられている。
【歴史】 集落としての木場は永禄四年(1561年)に信州からの入植者により開墾されたと伝わる。
上杉家家臣であった三条城主の山吉豊守の死去に伴い、弟の山内景長が山吉家の家督を継いだが、上杉家の規約などの問題により三条から木場に領地替えとなり、天正八年(1580年)に築城開始、翌年に完成したとされる。
完成年に勃発した新発田重家の乱において、織田信長と結んだ新発田氏が物流の拠点とした新潟城・沼垂城と対峙する最前線基地として機能した。上杉景勝は木場城の本丸に蓼沼友重、二の曲輪に山吉景長を配置した。
新発田氏の城は河口地帯の湿地帯及び砂地だったために攻略は難しかったが、木場城も付近に中ノ口川や多くの沼が天然の防御帯となっていたために新発田氏勢も攻略に苦慮した。
舟も使った攻防戦は6年余り続き、最終的には新発田勢を討ち、景勝勢が信濃川河口の利権を確保し、天正十五年(1597年)新発田氏は滅亡した。
その後も上杉氏臣下の山吉氏の居城として信濃川河口の新潟や沼垂の監視・管理を行う番城の役割を果たすも、上杉家の会津移封により廃城となった。
その後、堀氏が越後に入封し新潟港の本格改修した際には城跡に館を置いた。