大関城 (おおぜきじょう) (大関館・田中城)
最寄地 新潟県新潟市西蒲区升潟2179 2018.5.27
大関城 (おおぜきじょう) (大関館・田中城)
最寄地 新潟県新潟市西蒲区升潟2179 2018.5.27
石碑裏面
大関城の碑・説明板
大関城の碑・説明板
市立升潟小学校
大関城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 新潟市立升潟小学校グランドや南の畑となっており、遺構は消滅している。立派な「大関城の碑」が建てられ、裏面に由来文が記されている。木場城の西南西6km弱に位置している。
【案内】 県道46号線より市立升潟小学校(表記番地)西側の道路へ入り100mほど南に行くと、「大関城の碑」・説明板が建てられている[マップコード190 503 697*80]。
【歴史】 大関館は上杉景勝に従った大関阿波守盛憲(大関氏系図では親泰)の居館跡とされる。
東西約50m南北約80mの内郭部分に幅数mの堀がめぐらされ、外郭部にも堀がめぐる2重の堀があったとされる。
天正十五年(1587年)上杉景勝が、阿賀北の新発田重家を滅ぼし、越後を統一したが、そのとき木場城が前進基地となっており、当館もそれとの関わりが推定される。
慶長三年(1598年)上杉景勝の会津移封で木場城は廃城となるが、『大関氏系図』では、城主大関弥三郎顕資は会津へ移り、次男の弥八郎資之は暇をとり蒲原郡に一村を開き、三男蔵介成綱も伊夜彦荘で帰農したという。『碑文より抜粋』