池田城 (いけだじょう) (小浦城)
最寄地 富山県氷見市久目702 2018.6.14
池田城 (いけだじょう) (小浦城)
最寄地 富山県氷見市久目702 2018.6.14
登城ルート(緑線は車道)
市道からの 車道入口
登り口・駐車場
西側
主郭切岸・西側の郭
主郭切岸・南側帯郭
主郭
城址碑
東側腰郭
池田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 氷見市久目の標高90.3mの小浦山にあり、公園となっている。主郭には城址碑(由来文付)が建てられ、下段の西から南、東にかけて腰郭、帯郭が残っている。
【案内】 氷見市立「速川小学校」より南へ約700m行った県道64号線に案内標識が建てられている[マップコード135 018 675*78](地図)。
西に市道を行き、表記番地の西の標識より右に狭いコンクリート舗装道を約300m行くと、駐車場が用意されている(途中の道路は、普通車はギリギリなので側溝に落ちないように注意)。
南向いの尾根先端部に久目城跡がある(地図) 。
【歴史】 応安年間(1368~75年)備後国より三善朝宗が越中国上ノ庄(旧安努庄の上庄川上流部)へ地頭として赴任、小浦山に池田城を築いた。
元来この地には、能登に配流された平時忠の臣占部家彦の子孫が館を構えていたが、占部貞彦の時三善朝宗に譲り梨谷に移って寺院(永福寺)を創建したとされる。
三善氏は小浦氏を名乗り爾来8代の居城とし、能登国守護畠山氏に属した。
その後、上杉謙信、佐々成政に従い、天正十三年(1585年)成政が豊臣秀吉に敗れ肥後国に移封されると、成政に従い小浦石見守一守は熊本へ赴いたが、浪人となり松原斎安と改めた。
斎安の子松原内匠は、加賀藩2代藩主前田利長に仕えた。『城址碑由来文』より。