勝山城 (かつやまじょう) (滝谷城)
最寄地 新潟県刈羽郡刈羽村滝谷2095 2014.7.20
勝山城 (かつやまじょう) (滝谷城)
最寄地 新潟県刈羽郡刈羽村滝谷2095 2014.7.20
登城ルート(緑線は車道)
林道・登り口
堀切
堀切
本曲輪・ミニ天守・城跡碑
本曲輪・ミニ天守・城址碑
腰曲輪・遊具
勝山城 本曲輪跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 県道23号線と県道73号線交差点の西150mより西に林道大湊線を800mほどゆくと勝山公園駐車場がある[マップコード187 705 503*51](地図 )。
道路北より標識に従い西に200mほどで堀切、本曲輪がある。
標高102m比高約50mの山頂本曲輪にはミニ天守が置かれ「勝山城主野呂一伯塔」の石碑がある。西の腰曲輪には滑り台、遊具が置かれている。
【歴史】 勝山城は文治年間(1185~1190年)城義資(じょうよしすけ)の将である野呂一伯の居城であったと考えられている。
城氏は平安時代末期から鎌倉時代初期の越後の豪族で、下越地方を根拠地に越後を支配していたが、後に佐々木盛綱に滅ぼされた。
城氏の没落後は、佐々木氏の一族である竹俣氏の居城であったと考えられている。しかし、上杉氏の臣下である斎藤下野守朝信の頃の古文書には、朝信の家臣に野呂一薄という人物が記されており16世紀後半頃の人物ではないかと考えられている。
勝山城跡には曲輪・空堀・土塁等の遺構が存在し、日本海側から襲来してくる敵に対して構築された山城と思われ、赤田城の支城として上杉氏の重要な役割を果たしたと思われる。
麓の滝谷集落には城の割・城の越・城の前等の小字名が、また東城・西城・駒見平・柳清水(やなぎすんず)等の通称があり古城を物語っている。『刈羽村教育委員会案内板』より。