軽海西城 (かるみにしじょう) (市の史跡)
所在地 岐阜県本巣市軽海640 2014.12.10
軽海西城 (かるみにしじょう) (市の史跡)
所在地 岐阜県本巣市軽海640 2014.12.10
円長寺・城跡標柱
説明板
土塁・堀
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 現在は跡地に円長寺(表記番地)が建立され、門前に「軽海西城跡」の標柱と由来説明板が建てられている[マップコード28 633 119*40](地図)。
周囲に土塁・堀の跡が残っている。昭和五十四年(1979年)4月15日、本巣市の史跡に指定された。
なお、かつて城の東方には軽海東城があり、加留美長勝、朝倉高清、安藤守宗(安藤守就の次男)などが拠ったとされる。
【歴史】 築城年代は不明。土岐氏の時代には稲葉氏が数代にわたって居城とし、応仁二年(1468年)に稲葉氏が東濃へ移った後は、西村勘九郎(後の斎藤道三)斎藤道三が在城したという『美濃国諸旧記』。
永禄二年(1559年)には織田信長と斎藤龍興の勢力争いが当地であり、翌年に織田家の家臣・池田恒興(勝入)の家老である片桐俊元(半右衛門)が修築して居城とした。
永禄五年(1562年)織田氏と斎藤氏の軽海合戦の折、重要な役割を果たしたものと推定される。
片桐俊元はやがて池尻(現・大垣市)へ移り、天正十七年(1589年)に豊臣秀吉の家臣・一柳直末が大垣城から軽海西城に移って6万石を領した。
直末は翌天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐で戦死し、城は廃城となった。
その後、寛永十七年(1640年)に城跡に菩提を弔うために円長坊が建てられ、宝暦年間(1751~64年)に円長寺となって現在に至る。