ちんちん生えてきた(10)

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■ボストン USA  11月25日


 キャサリンが部屋を訪ねたとき、ポドルスキーは同僚らしい男性と談笑していた。キャサリンが見たことのない笑顔だ。男性は来客に気づくとキャサリンに会釈をして部屋を出ていった。

「元気そうでなによりです、中佐」

「うむ、久しぶり。きみは出世したそうだな、キャサリン」

 キャサリンは肩をすくめることで答えた。ポドルスキーが軍を辞めていまはもう中佐ではないのは知っていた。わざと中佐と呼んだのだが、ポドルスキーはそこには突っ込まなかった。肩書はどうでもいいと思っているのだろう。それよりファーストネームで呼ばれたことに驚いた。ポドルスキーはカジュアルなセーターに白衣を羽織っていて、表情もやわらかい。リタイアしてDIYを楽しむ中年男性のような雰囲気を醸していた。

 一方のキャサリンは白のタイトスカートのスーツにヒールで、初めて会ったときのポドルスキーのようにキメていた。

「新しいキャリアに大学で教えることを選ぶとは、想像もしていませんでしたよ、ミハイル」

「きみの方はマギを扱う新組織の幹部か? CDCもようやくきみの実力を正当に評価することにしたようだ」

 キャサリンは思わず微笑んだ。

「マギ関連の政府機関や研究機関はほかにも様々な分野で新設されますが、わたしの能力を活かすことができ、やりがいもあって、人類の未来のために貢献できる仕事です。潤沢な資金で研究をつづけることができるのはうれしいですが、管理の業務もあるので苦労もしそうですよ。それで、実はあなたをスカウトしに来たんです」

「おお、キャサリン。わたしを使いっ走りにしてこれまでの恨みを晴らそうという魂胆か」

 ポドルスキーが両手をあげておどけてみせた。

「冗談を言っているわけじゃないんです。ハロウインの夜に国連がマギとマギ・ウイルスについて正式な発表をしましたが、実際のところ何もわかっていないに等しいのは変わっていません。心配されたような世界的なパニックこそ起きていないものの、患者は増える一方ですし、アナフィラキシーで亡くなった人も200万人を越えています。治療法の開発は何より急がなくてはならないんです。かつてあなたが言ったように、これは本当に人類滅亡の危機なんですよ。あなただって学生相手の授業をして過ごすようなタマじゃないでしょう?」

 必死に説得しようとするキャサリンをポドルスキーはやさしく見つめた。

「わたしは教壇に上がるわけじゃない。この大学で新しくシンクタンクを設立するのだ。きみとは違った視点でマギに対峙していくことになる。変性人類支援研究センター。旧人類としてオルタードを助けることを目的としている」

 それを聞いてキャサリンが顔をしかめた。

「変性人類? オルタード? まさか、中佐がアセンション派の思想に染まっているとでも? マギが人類の霊的な進化をもたらすという。スピリチュアルというか、あれは新興宗教のたぐいでしょう?」

 キャサリンは強面のポドルスキーがそんなものに傾倒するとは信じられなかった。これまで政府は衝撃をやわらげながら国民に事実を知らせるため、オカルト系のメディアを使って徐々に情報をリークしていた。それで工作側の人間がオカルトに毒されてしまったのだとしたら笑えない。

 ポドルスキーはキャサリンが落ち着くのを待ってから口を開いた。

「現在、全世界の男性の半分近くが発症しているとみられる。マギ・ウイルスは伝染するのではなく、ヒトのDNAからナノマシンが生成されることでランダムに発症する。健常者の数の半減期は男性の場合で半年ほどだ。二年もすればほぼ全男性が不妊になる。マゼラン計画も進められているが南極に避難したのはまだ三千人程度。しかも彼らは南極大陸から出ることはできない」

「ですから、一刻も早く治療法を確立しないと」

「男性は年齢に関係なく発症するが、女性で発症するのは若者だけだ。発症者の最高年齢はたしか三十七歳だったか。ほとんどは三十歳未満で、若年層の女性の半減期は八ヶ月程度と見積もっている。こちらも数年以内に全員オルタードに変性してしまうだろう。一方、年齢の高い女性はなぜか発症していない。陽性反応が出ている者も無症状だ。キャサリン、きみは?」

「陽性ですが症状は出ていません。発症するかどうか、年齢的にはどちらに転んでもおかしくはありませんが」

「体内にナノマシンがいるなら、もうアナフィラキシーの危険はないな。あれは変性に失敗した場合に起きる免疫の暴走反応だと考えてよい。きみは安全だ。ところで、アセンション派の多くが高齢女性で占められているのは皮肉なことだ。彼女らはアセンションしそうにないのだからな。中には男性の不妊は天罰で、これは女性の地位向上の好機だと無邪気に喜んでいる者までいる始末だ。いまのところ世界は平穏を保っているように見える。しかし、これはわたしのカンだが、状況が飲み込めるにつれて社会が分断され、混迷を深めていくだろう。年が明ける頃には大混乱になるさ。男と女の最終戦争が始まることさえありうる。女性の場合は世代間対立も激化するだろう。オルタードとオールドミスの間でな。あ、オールドミスというのはオルタードのラディカルな一派が女性の非陽性者を揶揄して呼ぶ言葉で、わたしの意見ではないことは言い添えておくよ。さらに国家間のサバイバル競争、宗教も変化するだろうし、あらゆる文化や社会規範、ヒューマニズムの概念も変わってしまうだろう。社会の混乱が各地で軍事衝突を引き起こすことも十分に考えられる」

 ポドルスキーは芝居が始まる前の観客のように目を輝かせて言った。キャサリンは不安になった。この男が自分のカンを披露するとき、それは大抵当たってきたからだ。

「そのためにも多くの科学者が日夜努力をつづけているのではありませんか。人類種と文明の存続のために」

 深刻な顔で訴えるキャサリンに、ポドルスキーは意味ありげな視線を向けた。夏のバカンスの計画を幼い子供たちに披露しようとする父親のような顔だ。

「実はある情報を得ている。オルタードの女性が妊娠するケースが続々と報告されているのだ」

「そりゃあ、若い女性なら妊娠もするでしょう。不妊になる前に子をなそうとする男性も多いでしょうし――」

 キャサリンは途中で言葉を切った。ポドルスキーがもったいぶって言う話がその程度の内容であるはずがないと気づいたからだ。

「――つまり、どういうことです?」

「オルタードの女性は妊娠できるんだよ。女同士の、つまり、レズビアンのカップルで」

 笑い出しそうなのと恐怖に引きつりそうなのをキャサリンはどうにかこらえた。冗談とは思わなかったが何か裏があるのではないかと不審な目を向ける。

「いま言ったとおりの意味だよ、キャサリン。女同士で性行為をしていたら妊娠してしまった、という話が出てき始めたのは10月頃からだ。誰も本気にしていなかったが、わたしはこれこそマギの目的ではないかと感じた。200例以上を調査して事実だと確信した。それに中絶胎児のDNAを調べたところ、両親となる二人の女性から遺伝子を受け継いでいることが判明したのだ。わかっているかぎりでは胎児は全員女の子だ。どのようなメカニズムで受精が起きるのかは未知だが、カップルの両方が同時に妊娠した例もある。一方でオルタードの女性とまだ精子を持つ男性との体外受精の試みが世界中で行われている。しかし、成功例は一つもない。おそらく、オルタードの女性は旧人類の男性とは生殖ができなくなっているのだ」

 キャサリンは止めていた息を吐き出した。女同士で妊娠したと主張する女性がいることはネットの書き込みで知っていたが、処女懐胎を夢見る未熟な精神のたわごとだと思っていた。ポドルスキーの話を聞いてもにわかには信じられない。だが、この数ヶ月で世界のリアリティラインが恐ろしく引き下げられている。もう何が起きてもおかしくない。

「それがあなたの言うマギの目的だと? マギが放射線だか謎の光線だかを使って人類のDNAを改造して別の生き物に作り変えている。それが人類の進化だと? 人類の都合などおかまいなしに?」

 自分でも恥ずかしくなるくらいキャサリンはイラついていた。ポドルスキーはあくまでも穏やかだ。もしかするとマギ・ウイルスの影響でテストステロンが減少しているためかもしれない。

「今後オルタードが男児を産むことはないだろうと推測している。Y染色体が供給されないのだからな。男はこの世界に不要な存在となったのだ。新しい人類はきみたち女性だけで構成され、女性だけで繁殖して、女性だけで文明を紡いでいくのだ」

 男性であるポドルスキーが面白そうに言うものだから、キャサリンは大きなため息をついた。

「ミハイル、あなたは男だから知らないのかもしれませんが、女だけの社会なんて地獄ですよ。それにあなたの仮説が正しいとしたら、オルタードは女性とも言えないのではないですか? 男女の性別を超越した存在でしょう」

「言われてみればそうだな。いずれにしても、オルタードは人類の希望だ。キャサリン、初めて会ったとき、きみは自分が女性だからわたしに軽んじられていると感じたことだろう。事実そうだった。わたしは男女が平等だとは考えていない。男と女は異なる生き物だからだ。犬と猫の平等性を議論しても意味があるまい。男と女はときにいがみ合い、ときに手を取り合って、わかり合えないながらもよりよい未来を作るために協力してきたのではないか。そんなふうに男と女がたがいに意識し合う時代は終わる。いわば、人類の思春期の終わりだよ。オルタードが新しい未来だ。わたしはここで未来のためにやることがある。それがきみのスカウトを断る理由だ」

 しばらく考え込んでいたキャサリンはあきらめて大きく息を吐き出した。

「あなたの言うとおりになったとしても、あと100年は男と女が残る。わたしたちが生きている間は協力していけるのでしょう? 手を取り合って」

「無論だ。きみはCDCの新しい組織でベストを尽くしたまえ。わたしの助言が欲しくなったらいつでもここに来るといい」

 キャサリンはうなづいた。そして部屋を出ていこうとしたが、ふと立ち止まってポドルスキーに向き直った。

「ひとつ気になったのですが、マギの目的が人類を進化させることだとしたら、マギ・シグナルは何なんでしょうか。あれがマギ・ウイルスを発生させているわけではないのは明白です。ゲノム情報をシグナルで送ってくることに何の意味があると思います? ミハイルの意見は?」

「ただの慰めだよ。もちろん本当のことはマギに確かめなくてはわからないし、そんな機会は未来永劫ないだろうが。マギはまず間違いなく異星文明による人工天体だ。人類が独自の文明を築いていることも把握しているだろう。だから、遺伝子を改造されて何が起きているのか訳もわからぬうちに滅ぼされてしまうのではあまりに理不尽だ。そんなふうに人類を不憫に思ったのじゃないかな。わたしだってマウスに多少とも知性があるとしたら、解剖する前に何か言葉をかけるだろうからな」

 キャサリンは答えに満足して微笑んだ。

「ミハイル、あなたは案外とロマンチストですね」

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