こぶしを握りしめて立ち上がった。
(ちくしょう)
由香は美術室に駆け込むと、自分のロッカーからスケッチブックを取り出した。机の上に置いて開く。中身は空手の組手を描いたクロッキーだ。
美術部員の由香は、一年生のときから人物デッサンの練習に、スポーツ系の部活の練習風景をスケッチしていた。特に空手部がお気に入りで、よく武道場のすみに陣取って何枚も描いていた。
武一と知り合ったのはそのときだ。憂いを秘めた真剣な表情と、動物的な汗のにおいに、由香の心はときめいた。
告白して付き合うようになり、デートを重ねて、やがて性的な関係を持った。互いに初めてだったが、何度も体を重ねるうち、由香はセックスの楽しさを知った。
二年生になって同じクラスになれたことがうれしかった。きっと楽しい一年間になると思っていた。
(ちくしょう)
由香はスケッチブックのページを引きちぎった。次のページも空手のクロッキーだった。由香はそれも破り取った。武一を描いたスケッチを次々に破っていくと、とうとうすべてのページがなくなってしまった。由香は厚紙でできた表紙と裏表紙を引き裂いて放り投げると、机につっぷした。
そこではじめて、美術室に誰もいないことに気づいた。
美術部は普段から活動しているのかしていないのかわからないと言われていたし、幽霊部員も多い。夏休みに入れば文化祭に向けての共同作品作りも始まるが、いまの時期はみな個人で好き勝手に活動している。放課後の美術室に人がいないのは珍しいことではなかった。
誰も見ていない。このまま泣いてしまいたくなる。でも、泣いたらますます惨めになるような気がした。弱気になる自分を叱りつけて、必死に涙をこらえた。それなのに胸の奥から悲しみと悔しさがマグマのようにせり上がってくる。
もう耐えられない、と思った瞬間、入口のところから声がした。
「あれー、天音先輩だけですかぁ。こんなんで美術部って大丈夫なんですかね」
顔をあげなくてもわかる。一年生の男子部員、結城純だ。
「ちょっと、先輩、どうしたんですか。スケッチブックがびりびりじゃないですか。いったい誰がこんなひどいこと」
純が散乱しているスケッチブックの残骸を拾い集めようとした。
由香はカバンから財布を取り出すと、純に投げつけた。
「純、アイス買ってきて! ラムレーズンのパイント。いますぐ食べたい」
それだけ言って由香はまた机に顔を伏せた。
純はまだ中学生のようなあどけなさの残るかわいらしい少年で、異性を感じさせるところがない。それでも、みっともない泣き顔を見せたくはなかった。
事情が飲み込めないのか、しばらくどうするか迷っている様子だった純は、ふっと息を吐き出すと、明るい声で、
「わかりました、天音先輩。ラムレーズン、大至急、買ってきます」
と言うと、走って美術室を出て行った。
純がいなくなってしまうと、由香は顔をあげた。泣きたいと思った気持ちは勢いをそがれてしぼんでしまった。
けだるい動作で立ち上がると、破り捨てたスケッチブックのページを拾い始めた。集めた紙をあらためて十字に引き裂くと、まるめてゴミ箱につっこんだ。
イスの上で膝をかかえ、ぼんやりと美術室の中をながめた。
なにも考える気がしない。
なのに、いろんなことが頭の中をぐるぐる回っている。
自分のどこがいけなかったんだろう、と思う。
[失恋パンチ]
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