(なんでこうなる……)
知っている人だった。
知っているどころではない。
半年前に援助交際をした男だった。
夏休みの終わり頃。ショウマに放流されて、まだ本格的に援助交際を始めたばかりだった頃のことだ。
あたしは中年の男と会って変態プレイをさせられた。ブレザーの高校制服をリクエストされたから応えてあげたのに。ほんとは学校の先生なんでしょ、と聞いたら、腹を立てた様子でムキになって否定していた。
やっぱり教師だったんじゃないか。
しかも、あたしのクラスの担任として晴嵐に赴任してくるなんて。
二度と会いたくないと思っていたのに。
どうする? どうする? どうしたらいい?
「えー、このクラスの担任を受け持つことになった藤堂直樹です。ぼくはこの春から晴嵐にお世話になることになりまして、みなさんとはこれが初対面となります。どうぞよろしく。あ、担当科目は現文です」
などと藤堂先生が自己紹介しているあいだ、あたしは冷や汗をかきながら縮こまっていた。先生はまだあたしに気づいていないようだけど、手足を縛ってバイブでいじめた女の子のことを覚えていないわけがない。
「このあと体育館に移動して始業式がありますが、それまでの時間を利用して、みなさんにも一人ずつ自己紹介をしてもらいましょう。じゃあ、名簿の順番でいくと――」
くそっ。これじゃ逃げられない。
ご多分に漏れずあたしも自己紹介は苦手だ。小学校ではこんな儀式はなかったし、中学ではあったんだろうけど不登校だったからやってない。高校に入学した一年生の最初にやったのが唯一の経験だ。だからホームルームで自己紹介やるんだろうなと思ってすごく心配していたわけだけど、もうそれどころではなくなってしまった。
ほかの人の自己紹介を聞いている余裕なんてなかった。といってこの状況をどうにかできる手も思いつかない。そのままあたしの番が来てしまった。
しかたなく、あたしはうつむいたままヨロヨロと立ち上がった。
「み、美星沙希です。えっと……、趣味は裁縫で、よ、洋服とか作ったりしてます。えっと、よろしくお願いします」
なんとかそれだけ言って、すぐ座り込んだ。
そのあともほかの生徒たちが自己紹介をつづけていく。あたしはそっと顔を上げて藤堂先生の顔をうかがった。やはり気になったからだ。開けてはいけないドアを開けてしまうホラー映画の犠牲者のように。そして――。
目が合ってしまった。
ハッとしてすぐに目をそらした。でももう遅い。顔を見られた。もちろんずっと顔を合わせずに済むわけはないけど、いまはまだ心の準備ができてない。
それに、どうしてあたしを見てたんだ? 目をそらしたいまも視線を感じる。ほかの人が自己紹介をしているのに、あたしを見てる。
あのときの子だ――。そう考えているのだろうか。
あたしの中に出したときの感触を思い出しているのだろうか。
どうしよう……。
こんなことになるなんて……。
やがて全員の自己紹介が終わり、あたしたちは体育館へと移動した。あたしは先生に近づかないよう、ほかの生徒の陰に隠れるようにしてコソコソと歩いた。
落ち着け。落ち着いてよく考えろ。
校長先生の講話のあいだ、あたしは必死に考えを巡らせた。
藤堂先生が担任になったのは偶然に起きたことだ。いまの状況をセットアップできる人間がいるとは思えない。
買春の常習犯なら半年前に一度だけ買った少女の顔など覚えていないという可能性はある。あたしを抱いておきながら覚えてないなんて許せないけど、いまはそうであってくれたらどれだけ助かることか。もちろんそんな僥倖を当てにするわけにはいかない。藤堂先生はあの日のことを覚えているはずだ。
覚えてはいるけど、あのときの沙希という少女が、いまここにいる美星沙希のことだとは思わないかもしれない。未成年の少女を買うのに慣れていないとしたら、援助交際という異常な状況での記憶はあいまいになっているだろう。いや、そうかもしれないけど、願望を前提にするわけにはいかない。
受け持ちのクラスに援助交際をしている子がいると知ったら、藤堂先生はどうするだろうか。先生に買われたとき、あたしは初めてだというフリはしなかった。一回だけの過ちだったと言い訳しても信じてもらえないだろう。
警察や学校に通報するだろうか? 自分が客になっているんだからそれはないはずだ。
さっきの教室でのことを思い浮かべる。先生はあたしを見つめていた。
あたしがあのときの子だと気づいたのかもしれない。
でも、確信はないんじゃないか?
確信があったとしても証拠はない。
(しらを切り通す……)
これしかない。
[援交ダイアリー]
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