立体的に構成されたお城、ホールの部分は屋根がなく、上からパーティー会場が見下ろせる。楽団やらテーブルに並べられた料理やらが細かく作りこまれ、何組ものカップルたちがダンスを踊っていた。
彩色は水性インクらしい。黒の主線を活かしたイラストタッチだ。由香はページを閉じたり開いたりしてみた。お城のジオラマが巧妙に折りたたまれる。紙の折り目はきっちりしていて、ペーパーセメントで丁寧に糊付けされていた。
ページをめくると、こんどは緑のジャングルが広がった。羽を広げたドラゴンが飛んでいる。木々の合間にも四足の恐竜のような生き物が配されていた。
次のページは港の情景だった。大きな船が見開きのページの上に鎮座しており、外板が取り払われていて中身が観察できるようになっている。桟橋の上や船内に、荷物を運ぶ船員たちが配置され、よく見るとそれぞれが一コマ漫画ふうのドラマを演じていた。
由香は感嘆の声を漏らしながら、最後までページをめくった。まだ製作途中だが、どうやら全体としてはドラゴンにさらわれたお姫様を勇者が助けるというストーリーになっているようだ。もっとも、純の興味は物語よりも情景モデルとしてのできばえにあるようで、ストーリーに関係のない小ネタの点景に力が注がれていた。その作り込みはたしかに由香を唸らせるに十分なものだった。
「すごいよ、純。こんなの初めて見た。細かいところまですごく丁寧に作ってある。ページを開くたびに驚きの連続だよ。すごい。感動した」
由香は目を輝かせて純の作品をほめたたえた。
「ありがとうございます、先輩。でも、まだ半分もできてないんですよ。色が決まらない部分が多くて。こんど画材屋に行って、いい色がないか探してみようと思ってるんですけど」
「絵もすごく気に入った。こういうタッチの絵って好きだな。あんた、もしかして将来は絵本作家を目指してるとか?」
純は声を立てて笑った。
「まさか。ぼくは理系の大学に進むつもりですよ」
そのとき由香のおなかが大きな音を立てた。由香は真っ赤になっておなかを押さえた。
おなかがぺこぺこなのに気づいた。当然だ。きのうからほとんど何も食べていないのだ。
純がバッグから紙袋を取り出した。
「これ、食べますか?」
紙袋の中身はチョココロネだった。純がおやつに買っておいたものなのだろう。
「ありがと。もらうね」
純の仕掛け絵本を汚さないよう、すこし席をずらしてからチョココロネを取り出すと、遠慮なく頭の方からかぶりついた。甘いチョコクリームが口の中に広がった。ずっと続いていた憂鬱な気分が解けていくような気がした。
もぐもぐと口を動かす由香を、純が楽しそうに見つめた。由香はちょっと照れて、
「ごめんね、純のパン取っちゃって。あとで何か食べてかない? あたしがおごってあげるよ」
「すみません。このあと友達と約束してて。それにそのパンは先輩に食べてもらおうと思って買っておいたんですよ」
「え、なんで? あたしってそんなに食いしん坊に見える?」
純は笑った。
「なんとなく、先輩はおなかすかせてるだろうと思ったんですよ」
胸の奥に暖かい気持ちがあふれるのを感じた。純は由香に武一という恋人がいることを知っているし、その恋人とケンカして落ち込んでいることも由香がきのう話したから知っている。純はそのことには触れようとしないけど、由香のことはよくわかっていて、由香が必要としていることをしてくれるような気がした。
由香はチョココロネのしっぽを口に押しこむと、ハンカチで手を拭った。
「彼氏がさ、もうあたしとは付き合えないって言うんだよね」
純に悩みを話したら救われるんじゃないかと思えた。
「桐原先輩ですね?」
「うん。転校してきた子のことが好きになったから、あたしとは別れたいって言うんだ。冗談じゃないよ」
「ひどいですね」
「武一はきっとだまされてるんだ。あの女、たしかにそこそこ美人だけど、性格ブスだし。ねえ、純。もしもよ、もしもあんたがあたしと恋人同士だとして――」
純がどぎまぎした様子を見せた。
「ぼくが先輩と……?」
「だから、もしもよ。あたしと付き合っていたとして、ある日、まあまあのスタイルとルックスの女の子が、純のことを好きになって、やらせてあげるって言ってきたら、あんただったらどうする?」
「ど、どうするって……、ぼくは先輩を裏切ったりしませんよ。もしも……先輩がぼくの恋人だったら……」
[失恋パンチ]
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