だまされてはいけない、と思う。わたしを安心させるために、誠実な人間のフリをしているだけだ。若い女性に男優さんとセックスさせ、ギャラの上前をはねて生活している。言ってみれば人身売買だ。そんな人を信じていいはずがない。
信じ始めている自分が許せない。
抱かれたいと思っている自分がたまらなく嫌だ。
わたしはテーブルの上にあったノートのページを破りとって、サインペンで大きく「ごめんなさい」と書いた。
その瞬間、バスルームから佐藤さんが出てきた。わたしは慌ててメガネをかけた。
「あれ? ねえ、きみ、どこにいるの?」
佐藤さんが部屋の中を見回した。わたしはそこにいるのだけれど、思ったとおり佐藤さんにはわたしが見えていない。
テーブルの上の書き置きを見つけると、佐藤さんはため息をついた。
「おいおい、なんだよ。逃げちゃったのか」
がっくりと肩を落とし、ベッドに腰をおろすと、書き置きをくしゃくしゃに丸めて放り投げた。
服を着ながらケータイで電話をかけた。
「もしもし、俺だけど。いまから事務所にもどるよ。女の子? ああ、逃げられた。美人でいいカラダしてるのに、真面目でおとなしそうな子だった。もうちょっとで落とせたんだけどなぁ。え? 経験少なそうでウブな子だったよ。俺の見立てじゃ、レイプ経験があるね。ホテルに連れてきたのはいそぎすぎたのかもしれん。指一本触れないって約束を破ったからかな。でも、女のほうから脱いだんだ。こっちがその気になったってしょうがないだろ。え? わかってるって。大切な商品だよ」
電話を切るともう一度大きなため息をついて、
「『力になりたい』か。レイプされた子に未来をあげるとだましてアダルトビデオに出演させる。因果な商売だよな」
わたしはショックを受けて、部屋の隅にうずくまった。
やっぱりだまされていたんだ。
佐藤さんはベッドに上に脱ぎ捨てられたわたしのドレスとTバックを手に取った。
「あの子、着替え持ってたっけ? まさか裸で出て行ったわけでもあるまいが」
そうつぶやいて、わたしのドレスとTバックの匂いを交互に嗅いだあと、ポケットに突っ込んだ。
部屋を出ていくとき、佐藤さんはドアを思い切りこぶしで殴りつけた。
「あの子が前を向いて生きていけるように、力になってあげたいよ。でも、俺にあるのはアダルトビデオだけだ。はぁー、いい女だったんだけどなァ」
佐藤さんが立ち去ったあと、しばらくしてホテルを出た。佐藤さんがわたしの着るものを持って行ってしまったから、残されたのはヒールサンダルだけだ。メガネがあると言っても、新宿の街を全裸で歩くのは恥ずかしい。ホテルのタオルだけでももらってくればよかった。
駅のコインロッカーまでたどりついた。もやもやした気持ちで佐藤さんの名刺を見た。なんとなく捨てられなかった。
メガネのおかげで佐藤さんの本音を知ることができた。わたしをだましていたことを本人が認めたのだ。
でも、最後に言ったあの言葉は何だったんだろう。
わたしが前を向いて生きていけるように――。
わたしはコインロッカーの扉の隙間から、佐藤さんの名刺を中に滑り込ませた。服を取り出すのはやめて、改札に向かった。財布がないから無賃乗車になってしまうけど、大目に見て欲しい。
全裸で電車に乗っても、誰にも気にされなかった。メガネの魔法だ。
[目立たない女]
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