第1話 放課後のプリンセス (08)
「娘さんは最後までお父さんのことが好きだったんだと思う。つまり、恋愛の対象として見ていたんです。きっと悩んでいたんでしょう。お父さんのことが好きだ、なんて日記に書いちゃうくらいにね。動物は親子で交尾したりしないそうです。人間だけが、遺伝子の命令に逆らって愛し合うことができるんです。これはとてもすてきなことだと思う」
「もしそうなら、どうして娘はほかの男に体を売ったりしたんだ」
「父親にはほかに愛する女性がいたからじゃないでしょうか。つまり村岡さんの奥さんが。娘さんは、お母さんのことも大好きだったのでしょう?」
やり場のない気持ちをどうにかするには、合理的なストーリーを組み立てて納得するしかない。人の気持ちが本当はどうだったのかなんて、本人にだってわからないことの方がおおいんだし、娘さんはもう亡くなってしまったんだ。そのストーリーが真実だと思えるのなら、事実かどうかなんて問題じゃない。
「あの子が体を売っていた理由が父親への愛情だというなら、ぼくは娘に何をしてやればよかったんだろう。どうすれば、あの子を救ってやれたんだろうか」
「わかりません。でも、娘さんはお父さんのことが好きだったに違いないです」
その子が苦しんだ末に援助交際という形に救いを求めたとして、そこに救済があったのかどうかはわからない。でも、お父さんのことが本気で嫌いだったはずがない。
村岡さんはため息をつきながら、かぶりを振った。
「やっぱりわからないよ」
あたしもため息をついた。
そろそろお別れのときだ。
村岡さんがあたしとデートしたのは、亡くなった娘さんの気持ちが理解できるかもと思ったからなんだろう。あたしは応えてあげられなかった。誘惑もうまくいかなかった。わかってもらえなかった。
あたしの負けだ。
これでお別れなら、せめて優しい思い出になりたい。
あたしはバッグからラッピングしてリボンをかけた細長い箱を取り出して、村岡さんに差し出した。
「これは?」
「きょう、あたしと会ってくださったことへのお礼です。昼間、こっそり買っておいたんですよ」
村岡さんが包みを開けた。中身は赤のネクタイだ。村岡さんは驚き戸惑いながらも、照れたように笑った。
「お礼を言うのはぼくの方だ。沙希ちゃんのためにできることはないかな」
「お礼なら、全額支払い済ですよ」
「それとは別の形でお礼をしたいのだが」
ドキンとした。最後の瞬間に突然めぐってきたチャンス。援助交際を成功させられるかもしれない。
「じゃあ、せっかく部屋を取ってあるんだから、ふたりだけで夜景を見たいです。もうすこしの間、あたしのお父さんでいてください」
上ずった声で言うと、村岡さんは優しい口調で、
「沙希ちゃんは、その……、お父さんのことが好きだったの?」
あたしの事情はもうすこし複雑だ。お父さんのことは好きだけど、それが恋愛感情なのかと言われたらちょっと違う。説明するのは難しい。
だから、あたしはだまってうなずいた。
村岡さんに連れていかれたのは、バルコニーから夜景を見渡せるダブルの部屋だった。あかりはつけずに、バルコニーに出た。夏のあいだは節電で中止されていたライトアップも、あちこちで再開されていて、幻想的でロマンチックな夜景が広がっていた。
ふたりともほとんど言葉を交わさず、夜景をながめた。
そのままどのくらいの時間が経っただろう。
ちょっと冷えてきて、あたしは肩を震わせた。
村岡さんがそっと肩を抱いてくれた。
あたしは村岡さんのおなかに腕をまわして、顔を村岡さんの肩にくっつけた。
あったかい。
村岡さんの心臓の音が聞こえる。すごく速くなってる。
あたしもだ。
せつない気持ちがあふれてくる。
もしかしたら村岡さんは心の底では、娘さんに性的な願望を抱いていたのかもしれない。
このまま娘役を演じてあげれば、村岡さんはきっと欲望を解放する。
「お父さんとセックスしたい……」
顔をあげて村岡さんを見つめる。やさしい微笑みで見つめ返された。
目を閉じる。
キス。
唇が離れると目を開けた。変わらないやさしい笑顔がすぐそばにあった。
「抱いて」
「沙希ちゃん……」
[援交ダイアリー]
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