男の娘になりたい (06)

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 歩夢の姿が見えなくなったあとも、しばらく菜月は動けないでいた。

 ゆっくりと彩乃の方に向き直る。引きつった笑いを浮かべて、

「彩乃……、いまの、どーゆー意味かしら……?」

「どういうって、歩夢くんが実はボクっ娘の女の子だったってことでしょ」

「んなわけあってたまるかッ! あたしはあの子のおちんちんを見たことあるんだよッ」

 と彩乃の肩をつかんで揺する菜月。

 彩乃はわざと神妙な顔をして、

「ちんこが付いていようと、現に歩夢くんはどこから見ても女の子だったじゃない。本人もそう言ってるんだし。むしろ、もえぎ野の女子の中でもかなりの上位にくる美少女じゃない? きっと今まで言い出せずに悩んでいたのでしょうね」

 と、からかった。

 しかし、菜月はますます青ざめた。

「そんな……、おちんちんが生えてる女子もいたなんて……。一緒にお風呂に入ったことだってあるのに、ぜんぜん気づかなかった」

 などと意味不明のことをつぶやく。

 さすがに彩乃も苦笑した。

「待て待て。パニックになるな。歩夢くんはアレでしょ。心が女の子な男の子。よくある話、ってこともないけど、それほどレアなことでもないよ」

 菜月は落ち込んだ表情で彩乃を見つめた。

「あたし、どうしたらいいの?」

「わたしに聞かれてもなぁ。けどさ、さっきの菜月の態度はよくなかったと思う。男らしい歩夢くんが好きだってヤツ。あの子、傷ついてたじゃん。非モテブスの長谷川さんが負け惜しみでやってるジェンダーフリー運動はくだらないけど、歩夢くんに男らしさを押し付けるのは間違ってるよ」

「だけど、歩夢は本当は男らしくてカッコいいんだよ」

「はいはい。猛犬から守ってくれたんでしょ。でもね、男らしくてカッコいい女の子だっているじゃん。菜月だって、どっちかといったらそういうタイプだし。幼なじみなら受け入れてあげなよ」

「そんな簡単には割り切れないよ」

「まあ、わたしもビックリしたけど、歩夢くんがほかの女の子と付き合ったりすることはなくなったみたいだから、菜月にとってはその点だけはラッキーだったんじゃない?」

「もお、他人事だと思って」

 面白がる彩乃にスネてみせたものの、当面は恋のライバルが出てこないだろうという指摘には安堵を覚えずにはいられなかった。

「とりあえず、さっきのことは歩夢くんに謝ったほうがいいね。男の子は菜月が思ってるよりずっとデリケートな生き物だよ」

 年上の恋人がいる彩乃が言うのならそうなのだろうと菜月は思った。

 ふと、男らしい男の代表格である大河はどう感じているだろうと思って目をやった。すると大河はまだ驚きから覚めていない様子で、呆然と立ちすくんでいた。立ったまま気絶してるんじゃないかと思ったほどだ。

「あいつ……、女子だったとは……。男だとばかり思っていた……」

 と、まだ事情が飲み込めていないようだった。

 菜月と彩乃は顔を見合わせて肩をすくめた。

 ふたりは大河を放っておいて教室に向かった。菜月は歩夢や大河と同じクラスだが、彩乃は長谷川さんと同じ隣のクラスだ。菜月は教室の前で彩乃と別れ、自分の教室の戸を開けた。

 彩乃のアドバイスを受け入れて、まずは歩夢に謝ろうと思った。もしも女装のことで変な目で見られていたら守ってあげなくては、とも思っていた。

 ところが――。

 教室の中に人だかりができていた。おおぜいの女子生徒たちが歩夢を取り囲んでいるのだ。みんな笑いながら手を叩いてはしゃいでいる。

 からかわれている、という様子ではない。

「歩夢くん、可愛すぎィ!! これはヤバいですよ」

「すごーい、女の子っぽーい! 美少女だぁ」

「歩夢くん……、これからは歩夢ちゃんって呼んだほうがいいのかな」

「コラーッ、男子は見るなー!」

「みんなで守る会を作ろうよ」

 などと盛り上がっている。

 その輪の中心で歩夢は困った様子で照れ笑いしていた。

 歩夢はおとなしくて目立たないタイプだ。クラスに八人しかいない男子生徒の中でも存在感が薄い。すくなくともこれまではそうだった。だからライバルはいない、菜月はそう思っていた。歩夢の本当の良さに気づいているのは自分だけだと。

 それがいまやすっかり人気者になってしまっている。

 菜月は謝罪するどころか、近寄ることさえできなかった。

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