菜月はもちろん、彩乃と大河、それに当の歩夢本人も、その場で固まったまま動けなかった。
女子の制服を着た幼なじみの男の子――。
歩夢は菜月と同じくらいの背丈で、菜月よりもさらに細く見えた。菜月はスレンダーな体型だけれど、女の子らしい腰つきをしていてスタイルは悪くない。それに比べると歩夢は痩せた女子中学生のようだ。
しかし、可愛らしい顔は菜月から見ても美少女だった。トーンアップ下地に抑えたチーク、ビューラーであげてクリアマスカラを塗ったまつげ、桜色の唇も一見ノーメイクで健康的な血色のよさに見える。歩夢には美人の姉がいるが、手伝ってもらったのだとしても完璧すぎる学校メイクだ。
三人の注目を浴びて歩夢がたじろいだ。おどおどと目が泳いでいる。
「あ……、アハハ、菜月ちゃん……、お、おはよう」
ようやく歩夢が言った。
か細い声。もともと歩夢は男っぽい声ではなかったけれど、いまは作っているのか完全に女の子の声だ。単に裏声で高い声を出しているのとは違う。やわらかく響く、どこか色気すら感じさせる声だった。
菜月は冷や汗が出るのを感じた。
「あんた、なに女の子の格好してんの――」
と言いかけた菜月の声は、
「やだーッ!! 歩夢くん! カワイイー!!」
という彩乃の声でかき消された。
彩乃は菜月を押しのけて、歩夢を抱きしめた。
「うわッ、ちょっと、彩乃さん、離してよ」
逃れようとする歩夢の頭を両手で抱えるようにして頬ずりする。
「彩乃、歩夢から離れなさいよ! あんた、彼氏いるんだからッ」
「いいじゃないの、菜月。歩夢くんは別にあんたの彼氏ってわけでもないんだし。もう、歩夢くん、冬休みのあいだにこんなにカワイクなっちゃって――、あら? 歩夢くん、あなた、ブラジャーしてるのね」
言いながら彩乃が歩夢のブレザーの中に手を突っ込んで、歩夢の胸の膨らみを揉んだ。
「おっぱい柔らかーい。Bカップくらいかしら。菜月のより大きいね」
「あ、彩乃さん、もうやめてってば」
「彩乃ーッ、歩夢から離れなさーい!」
菜月が歩夢と彩乃の間に割り込んで引き離した。
マジになっている菜月の態度に、彩乃は苦笑いして歩夢から離れた。
菜月は改めて歩夢に向き直り、女子制服を身にまとった幼なじみの少年を見つめた。最初に考えたのは何かの罰ゲームではないかということだった。仮にそうだとしても女装が本格的すぎる。
「あ、あの……、菜月ちゃん、ボクは――」
と言いかけた歩夢に構わず、菜月は歩夢の胸を鷲づかみにした。彩乃が言ったように柔らかい感触があった。足元の地面が崩れるような感覚に混乱した。女装用のシリコンバストなんてものの存在には思い至らなかったからだ。
歩夢は痴漢に耐える少女のように体を固くしていた。
菜月は頭に血が上るのを感じた。衝動的にその場にしゃがみ込むと、両手で歩夢のスカートをめくりあげた。
「きゃっ!!」
慌ててスカートを押さえる歩夢。
菜月は真っ青になった。歩夢がパンストの下に穿いていたのは大人っぽいレディースもののナイロンショーツだったからだ。
「もーッ、菜月ちゃんッ」
「歩夢、たしかに三学期から男女別制服は廃止になってるけど、だからって男子のあんたがスカート穿くことないでしょ。歩夢も長谷川さんみたいにジェンダーフリー運動でもやってるわけ?」
「別にそういうわけじゃ……。ボクはただ――」
「こういうこと、やめなよ。いくら顔が可愛くても女装なんて似合わないって。ほかの人は知らないだろうけど、あたしは知ってるよ。歩夢だって本当は男っぽいところがあるってこと。あたしは男らしい歩夢が好きだな」
と言った菜月は、いまの「好き」という言葉が告白と受け取られたりしないかと一瞬不安になったけど、すぐに、そんなことあるわけないな、と思い直した。
そんなふうに自分のことしか考えていなかった菜月。しかし、歩夢は足の小指をぶつけた痛みをこらえるような顔で目をそらすと、唇を噛んだ。
「菜月ちゃんはボクのこと知らないよ。ボクはずっと前から――」
歩夢は目に涙をにじませた。
「ボクは本当は女の子なんだよ!!」
それだけ言うと、歩夢は菜月の返事を待たずに、小走りに去っていった。
[男の娘になりたい]
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