いけない進路相談 (13)

午後のホームルームがおわると、真琴は矢萩を追って教室を出た。

「先生、質問があるんですけど」

真琴が声をかけると、矢萩は足を止めて振り向いた。

矢萩は特別背が高いわけではないが、いつも背筋をのばして、スポーツマンらしい機敏な身のこなしをしていた。短く刈った髪に、ひげもきれいに剃ってあって、清潔な印象だ。普段からおしゃれには気を使っているようで、今日はグレーのジャケットにチャコールグレーのパンツを上品に着こなしていた。それでも、教師らしい履き古した上履きサンダルがとぼけた雰囲気を醸している。

「うん? 大友さんが質問にくるなんて珍しいね」

そう言って、人のよさそうな笑い顔を浮かべた。

かわいい笑顔だな、と不覚にも真琴は思った。その笑顔の裏にどす黒い欲望を隠しているくせに。

真琴が歩き出すと、矢萩があとからついてくる。

「先生、結婚するって本当ですか? そういう噂があるんですけど」

「なんだって? いったい誰がそんなこと言い出したんだい?」

矢萩は真琴の用事が授業内容についての質問などではなく、女子高生らしい恋愛話なのだとすぐに察したようで、軽い口調で聞き返した。

「このあいだの日曜日に、先生が若い美女と腕を組んで歩いているところを見た人がいるんです。なんでも二人でウエディングドレスをながめていたとか」

そう言われて、矢萩はばつが悪そうにほっぺたを掻いた。

「あー、見られてたのか。あれは俺の妹だよ。別にすぐ結婚する予定はないさ」

悪びれることもなくそう言った矢萩に、真琴は内心カチンときた。

(妹? そんな見え透いたウソをいったい誰が信じるものか。だいたい兄貴と腕を組んで歩く妹なんているわけないだろう)

真琴は一人っ子だったが、兄を持つ友人は何人もいる。妹と兄はふつう仲が悪いか、妹が兄を毛嫌いしているか、でなければ兄の存在を無視しているものだ、と知っていた。そんな言い訳ですまそうとするなんて生徒をなめているのかと思ったが、真琴は腹立たしい思いを表には出さず、かわりにホッとしたという表情を浮かべた。

「なーんだ、そうだったんですか。じゃあ、先生は彼女いないんですか?」

真琴が訊くと、矢萩は苦笑した。たぶん同じ質問を多くの女生徒にされているのだろう。真琴は自分がミーハーな人間に思われたのではないかと思って苛立ちを感じた。

「ノーコメントだ」

「あー、はぐらかすぅ。じゃあ、どういうタイプが好みですか? 思いっきり若い子とかどうですか? 高校生とか」

矢萩の方を見ながらそう言うと、矢萩が急に真剣な顔になったのが分かった。真琴は立ち止まって、矢萩の顔を見上げた。

「あたしぐらいの歳の女の子でも、恋愛対象になりますか?」

真琴の表情にも笑顔はない。矢萩は真琴の意図をはかりかねているのだろう。言葉が出てこない様子で真琴を見つめている。

真琴は恥ずかしそうな仕草で目を伏せると、小声で言った。

「あたしじゃ、ダメでしょうか」

「ちょっとデリケートな話だね、大友さん。きみとはちゃんと話し合ったほうがいいと思うんだけど、廊下で立ち話ってわけにはいかないな」

各クラスでホームルームが終わって、下校する生徒や部活動に行く生徒が、廊下にはおおぜいいた。真琴としても、ここで決着をつけるつもりはない。今日はただの確認だ。

「わかりました。今度、どこか二人きりになれる場所でおねがいします。でも、あたし、先生のこと……」

わざとそこで言葉を切ると、真琴はくるりと背を向けて、恥ずかしさに耐えられなくなった少女を装いながら、一目散にその場から離れた。矢萩はこのあと職員会議があるので追ってこないとわかっていた。

[Back] [Next]

Copyright © 2010 Nanamiyuu