夏をわたる風 (16)

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停学一週間、というのが留美に下された処分だった。

停学といってもいまは夏休み中だから、補習授業に出ずに済むだけの話だ。停学明けには補習授業の日程も終了しているから、ちょっと早めに夏休みになったようなものだった。もっとも、大量の課題を渡されたため、夏休みの宿題の量が倍以上に増えた。それに毎日、教師の家庭訪問を受けなければならない。

意外なことに、家庭訪問に訪れたのは冴子先生だった。

「香川さんの一本背負い、先生も見たかったわ。でも、一週間も停学って、ちょっと厳しいわよね」

冴子先生はベッドのすみで膝を抱える留美に、面白そうに笑いかけた。

「当然の処分だと受け止めてますよ。男子生徒を殴ってケガをさせたのに、事情聴取で完全黙秘したんですから。学校側だって、誰も罰しないわけにはいかないでしょ」

学校側も事情は知っているはずだ、と留美は考えていた。留美が何も話さなくても、クラスの生徒たちから経緯を聞くことができただろう。それに家庭訪問に担任ではなく冴子先生が来たことは、一方的に留美を処罰しているのではないことを示していた。つまり、優奈をかばって何も言わない留美の心意気を学校側が認めて、あえて厳しく罰するという形で受け止めてくれたということなのだ。だから留美は処分については気持ちよく受け入れていた。

「山形くんのケガは大したことないから安心していいよ。軽い打撲だけだから」

「あいつ、優奈のことを笑ったんだ。許せなかった。先生は優奈の中学のときの事件は知ってるんですよね?」

冴子先生が答えないので、留美は照美から聞かされたことを話した。すると冴子先生は留美のとなりに腰をおろして、

「入学するとき、秋田さんのお母さんから聞いた。あの事件はほとんど報道されなかったけれど、学校関係者のあいだではよく知られてたわ。秋田さんがその被害者だって知ってるのは、わたしのほかは校長と数人の先生だけ。結局、秋田さんは登校拒否になったあと、一度も中学校には行かなかったそうよ。それでも高校には通いたいからって、がんばって勉強して、うちに入学したの」

「どうしてこんな酷いことが起きるんですか? 優奈はなんにも悪くないじゃないですか。なのにどうして」

冴子先生は留美の肩に腕を回して抱き寄せた。

「どうしてかしらね」

「こんな理不尽な世界はいやだ。わたしに世界を作り変える力があればいいのに。優奈がこのまま学校に来なくなっちゃったらどうしよう。優奈のこと大好きなのに、わたしにできることなんて何もない」

「何もないの? 大好きなのに?」

「何もないよっ。わたしにはそばにいてあげることしかできない」

「いままで秋田さんのそばにいてあげたんだね」

留美は目に涙を浮かべながらうなずいた。

「あの子、いつも教室で本を読んでたんです。いつもひとりで友だちいないのかな、って思ったけど、実際あの子と同じ中学から来てる子はいなくて。わたし、あの子のことがなんだか気になってた。いつもどんな本を読んでるのかな、って思って、ある日、そっと覗き込んでみたんです。そうしたら、わたしも大ファンのファンタジー小説で、思わず声をかけちゃった。『そのシリーズ、わたしも最新巻まで全部持ってるんだ。だけど、ほら、あそこにいる子、友だちのさやかって子なんだけど、いっぺん読ませてみたら、なんだこの口説き魔伯爵はっ、とか言っちゃってさ』って。そのとき、初めて優奈の笑顔を見たんです。その笑顔がなんだかすごく儚げで、守ってあげたいって思っちゃったんです。こんなの変かな」

「ぜんぜん変じゃないよ」

「それで、わたし、優奈に言った。友だちになりたい、って」

留美の頬を涙がしたたった。

「友だちになれたのね」

「うん。優奈はわたしの大切な友だち。なのにわたしには何もできない。優奈の苦しみをすこしでも引き受けてあげられたらいいのに」

「引き受けてあげるの?」

留美は首を左右に振った。

「無理ですよ。言葉で何を言ったって、優奈が乱暴されて辱められたことが取り消せるわけじゃないもの。苦しみを分け合えるなんてセリフは傲慢です。早く忘れなよとも言えない。簡単に忘れられるようなことじゃないもの。そんなの解決じゃない。優奈が自分で乗り越えなきゃいけない。たったひとりで」

「でも、そばにいてあげられる子がいるんじゃない?」

留美は嗚咽を漏らした。

(そのとおりだ。中学のときの優奈にはそれさえなかった。でも、いまは違う。優奈のそばにいて、優奈を受け止めてあげられる)

そう考えたあと、はたして自分に受け止めきれるだろうかと留美は思った。

「どんな悲しみも時間が解決してくれるっていうけど、優奈にはどれほどの時間が必要なんでしょうね。優奈が乗り越えられるまで、あの子の友だちでいるわ。決して見捨てたりしない。でも、わたし、自信が持てない。悲しくて、辛くて、腹立たしくて、わたしのほうが押しつぶされてしまいそうなんです」

「あなただって、ひとりじゃないわよ。千葉さんだっているし、先生もついてる。だから、きっと大丈夫」

冴子先生は優奈の家庭訪問もしていた。優奈は元気がないものの、いまのところは大丈夫そうだという。

(優奈がいずれ学校に戻ったとき、きっと色眼鏡で見られることだろう。心ない中傷もあるかもしれない。守ってあげられるだろうか。乗り越えられるだろうか)

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