田辺さんの彼女だ。田辺さんが電話の着信を無視したから直接乗り込んできたんだ。あたしが部屋から出てくるところを見られたかもしれない。田辺さんはあたしが忘れ物でもしたのかと思ってすぐに上半身裸のまま顔を出すだろう。修羅場になると面倒だ。ここはとっとと退散しよう。
年内に田辺さんがもう一度会ってくれるかどうかは怪しくなってきたな。
まあ、こーゆーこともある。
援助交際をしていろんな人と恋をするのは楽しい。
イヤな目に遭うこともあるけれど、たいていの男の人はやさしくしてくれるし、お金もたくさんもらえる。それにセックスは気持ちいい。だからやめられない。
――『好きな子、いるよ。同じ学校の二年生』
拓ちゃんのことを考えるとつらくてたまらない。
拓ちゃんがあたしのことを好きだと言ってくれた、あの時以来、ずっと苦しくてたまらない。
――『黙ってりゃいいんじゃないか? 正直に話す必要もないだろ』
ぜんぶ内緒にして拓ちゃんの彼女になったとしたら……。
あたしはその秘密の重さに耐えられるだろうか。
レイプビデオがいつ拓ちゃんの目に触れるかわからないのに……。
そんなのぜったいムリだ。
でも――。
もしも、拓ちゃんがすべてをわかってくれて。
受け入れてくれて。
あたしのぜんぶを許してくれるなら。
すべてを知った上で、それでもあたしを好きだと言ってもらえるのなら――。
あたしはあたしの命のすべてを拓ちゃんだけのために使いたい。
そんなことを考えていると、あるかないかもわからない希望にすべてを賭けてしまいたくなる。拓ちゃんならひょっとしてわかってくれるんじゃないかって。
でも、学校で拓ちゃんや恵梨香先輩の姿を見るたび、消えてしまいたくなるんだ。
次の日、昼休みに購買のパンを買いに行ったあたしは、廊下を並んで歩く拓ちゃんと恵梨香先輩を見つけた。思わず立ちすくんでしまった。ハンサムで女子に人気の拓ちゃんと誰もが認める美人生徒会長のツーショット。恵梨香先輩は楽しそうに笑ってる。
うらやましくて胸が締め付けられた。そのせいで隠れることさえ忘れていた。
不意に恵梨香先輩と目が合った。
先輩はあたしに気づくと、何か言いたそうに片手をこちらに伸ばした。
あたしはどす黒い負の感情がわきあがってくるのを感じた。
自分の心が怖くなった。
あわててきびすを返すと、自分の教室へと駆け戻った。
「美星さん、どうしたの? 顔、真っ青だよ?」
同じクラスの吉野さんが声をかけてきた。
あたしは首を振って、「大丈夫」とちいさく言った。その声はうめき声のように聞こえた。呼吸が浅くなって、感情のざわめきが激しくなっていく。ここにいたらまずい。
「ごめん。やっぱり気分が悪い。保健室に行って寝てる。もし五時間目までに戻らなかったら、先生に言っといてくれる?」
吉野さんに無理して笑顔を向けると、通学バッグから取り出した巾着を手に教室を出た。
保健室には誰もいなかった。きょうはカウンセラーの先生もお休みだ。
ベッドに横たわった。ラブホテルのベッドと違って、マットが固い。
ケータイが震えて、メールの着信を知らせた。見ると、恵梨香先輩からだった。メールの内容は一言だけだった。
『沙希と話したい』
もうずっと恵梨香先輩のことを避け続けてる。ほんとはあたしだって先輩と話したい。だけど、いまさら何を話せというんだ。
メールを閉じてアドレス帳を表示させる。恵梨香先輩のメアド。友達になってくれたことがうれしかったのに。こんなことなら他人のままでいればよかった。
アドレス帳に最近追加されたもうひとつのメアドに目を止めた。三ツ沢さんだ。あの子ともずっと話してない。あの日、三ツ沢さんに言った言葉がずっと胸にわだかまってる。
――『うわべだけの友達なんてほしくない。友達の数を自慢したいからって、あたしを数に入れようとしないでよ』
三ツ沢さんを傷つけてしまった。あんなこと言うべきじゃなかった。あたしの呪いに、無関係なあの子をまきこむことはない。メアド交換したけど、もう他人だ。
そこであたしは心が急にもぞもぞしてくるのを感じた。他人に戻るなら、あのときのことを謝罪してからにするべきだ。突然そう思えてきたんだ。
すこし迷ってから、あたしはメールを書き始めた。
『文化祭のとき、ひどいことを言ってしまいました。不愉快にさせてしまってごめんなさい。それだけ伝えたかった』
送信。まあ、あたしの自己満足だろうけど、黙って終わらせるよりマシだ。
[援交ダイアリー]
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