さっきの痴漢のことを思い出した。あの男も、わたしが見えてはいたはずだけど、わたしだとわからなかったのだ。
いやいや、ことはそう単純でもない。わたしだとは認識できないけど見知らぬ人間として見えているというなら、そんな人が目の前にずっと立っているのを変だと思うはずだ。わたしはフーコとメグの目の前にふたりの視界をふさぐように立っているのに、ふたりともぜんぜん気にしていない。
つまり、目には見えているけど、まったく気にされていないということだ。
このメガネのせいだ。
それしか考えられない。確かドラえもんの道具にそんなものがあったはず。どうしてこのメガネにそんな摩訶不思議な力があるのかはわからないけど。
だったらメガネをはずせば解決だ。そう考えてメガネに手をやったところで、フーコの漏らした言葉に固まった。
「まあ、ムッチーは別に来なくてもいいけど」
わたしの全存在を否定するような言葉。友達だと思っていた相手に、目の前で言われた。
「ひどいこと言うなよ、フーコ。五分くらいは待っててあげよう」
メグが笑いながら応じた。
たった五分……。それがメグにとってのわたしの価値なの……?
「わたし、あの子のことほんとは嫌いなんだよね。顔はかわいいくせに、なんか、おどおどして、いつも人の顔色うかがってるじゃん。まあ、こっちも大人だから、面と向かってそんなこと言わないけどさ」
「おいおい、そりゃ、わたしだってムッチーのことはそんなに好きじゃないけどさ」
そのあとのふたりの会話は耳に入らなかった。
わたしはケータイを取り出して、ぼんやりした頭でフーコにメールを送った。すぐにフーコのケータイが鳴り、フーコがわたしのメールを読んだ。
「ムッチー、来れないってさ。急に仕事に行かなきゃならなくなったんだって」
「就職組は大変だね。わたしらも来年は就職活動始めなきゃならないんだよな。やだやだ。じゃあ、行くか」
フーコとメグが立ち去ったあと、わたしはその場にうずくまった。
ウソだと思いたかったけど、同時に「やっぱりそうか」という気持ちも感じていた。わたしにとってはいちばん親しい友達だったけど、ふたりにとってはそうじゃないっていうのはわかってた。フーコもメグも悪くない。わたしのせいだ。
中学のときいじめられてなかったら、もっと違う人間になれてたかもしれない。いや、そうじゃないな。こんな子だからいじめられてたんだ。むしろ、いままで相手をしてくれてたふたりに感謝しなきゃ――。
人でごった返す駅の構内で、膝を抱えてすすり泣いている女がいても誰も声をかけようとしない。このメガネをかけているあいだ、わたしはこの世界に存在しないも同然なんだ。
もう帰ろう。家に帰ってオナニーして寝てしまおう。きょうはどのバイブ使おうか。思いっきりオナニーして、嫌なことはぜんぶ忘れてしまおう。
思わず自嘲した。寂しすぎる。
「うわああああああっっっ!」
発作的に立ち上がって、大声で叫んだ。
誰も振り向かない。誰もわたしを見ていない。
もう一度叫んだ。見えていなくても声は聞こえるんじゃないか。そう思ったけど、誰ひとりわたしに注意を向けようとはしなかった。
わたしは大きく息を吸い込むと、
「わたしは誰にも見えないんだぁぁッ! 見えてるヤツがいたら返事してみろーッ!」
大声を出すとすこしは気が晴れるような気がする。
[目立たない女]
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