村岡さんの腕をぎゅっとつかんでいる自分に気づいた。一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
夕焼けで赤く染まった空。あかりのつきはじめたビル街。浜辺を歩くカップルたち。
「ごめんなさい。あたし、寝ちゃってた……」
「いいんだよ。すごくかわいい寝顔だった。援助交際なんてしていても、やっぱりごくふつうの女の子だと思ったよ。亡くなった娘ともこんなふうに過ごしてやりたかった」
あたしは泣いていたことに気づいて、そっと涙をぬぐった。
「援助交際をしていることを知ったら、あたしの父がどう思うか考えたことがあるか、って訊きましたよね。そんなこと考えたこともありません。両親はあたしが小学六年生のときに離婚しました。うちは母子家庭で、父親はいないんです」
村岡さんは何か言いたそうだったけど、口をつぐんだ。
村岡さんの腕にもたれて、そのまま何も話さず、空の色が変わっていくのをふたりでぼんやりとながめた。紅い空が藍色になり、やがて灰色の夜空になっていく。都会だから夜空が白っぽい。星は見えないけれど、かわりに地上が光で満たされた。
「近くのホテルのレストランを予約してあるんだ」
「うん……」
村岡さんを誘惑してやろうと考えていたのに、なんにもできなかった。笑っちゃうよ。何人もの男の人に体を売ってきたのに、男の人を誘惑する方法もわからないなんて。
それどころか、お父さんとのデート気分がうれしかった。
デートの契約はディナーが終わるまでだ。村岡さんといっしょに過ごす時間は、もうすぐ終わっちゃう。胸がしめつけられるような寂しさを感じた。
援助交際に恋愛を求めていても、男性の方は体が目当ての人がほとんどだ。援助交際なんだからそれも当たり前なんだけど、やっぱりセックスだけが目的なんだと思ったら悲しいし傷つく。村岡さんのようにすてきな人と会えるのは本当にうれしい。
あたしは村岡さんと手をつないでホテルへの道を歩いた。
村岡さんがホテルのチェックインを済ませてから、ふたりでレストランへ行った。予約されていたのは夜景を楽しめるテラス席だった。
食事は豪華なフレンチだった。援助交際で高級レストランに連れてってもらうことはあるけど、リゾートホテルでディナーなんてロマンチックだ。食事はすごくおいしかった。
「援助交際なのに、こんなホテルを予約してくれてたんですね」
食事のあとのコーヒーを飲みながら言った。
「去年の夏に、妻と娘を連れて来たことがあるんだ」
村岡さんは懐かしそうに答えた。思い出の場所ってわけでもないんだろうけど。
「仲のいい家族だったんですね」
「あの頃はね。娘も『お父さんのことが大好き』とか『お父さんのお嫁さんになりたい』なんて言ってくれてたんだが。ケータイサイトの日記にも、そんなようなことが書かれていた。それなのに、突然『お父さんなんか大嫌い』になってしまって、それから……売春をするようになった。それも、ぼくと同年代の中年男とだ。ぼくには娘の気持ちがわからない」
村岡さんは自嘲するようにため息をついた。
「援助交際をする子の動機はいろいろですよ。割のいいバイトだと思ってる子も多いし、単純にセックスのスリルを求めている子もいれば、親の愛情が受けられなくて寂しいからって子もいます」
「ぼくは娘を大切に思っていた。いまとなっては、それが娘にちゃんと伝わっていたかどうか心もとないのだが」
「きっと、娘さんはお父さんに恋をしていたんですね」
あたしがそう言うと、村岡さんは笑った。
「まさか。親子だよ。恋愛感情なんてあるわけないじゃないか」
「小さい子ならともかく、高校生の女の子が『お父さんのお嫁さんになりたい』なんて、父親への思慕だけで言うわけないじゃないですか。亡くなった娘さんは村岡さんのことが本当に好きだったんだと思います」
「いや、しかし……」
「あたしはこう思うんです。女の子が自分の父親に恋をするのは当然のことだ、って。生まれたときからそばにいて自分を守り愛してくれる男性なんですから、好きになっちゃうのが当たり前なんです。でも、自然はその恋を許さない」
「どういうこと?」
「思春期になると、女の子は父親の臭いに耐えられなくなるんだそうですよ。お父さんのことが生理的に受け付けなくなってしまうんです。でも、それは娘の本心じゃあない。本心では好きだと思っていても、体が言うことを聞かなくなってしまうんです」
「……」
「女の子が父親と恋に落ちてしまうことを防ぐために、利己的な遺伝子がいじわるをして、お父さんのことを嫌いにさせてしまうんですよ」
「娘に嫌われてしまうのは自然の摂理ということか」
[援交ダイアリー]
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