かたわらを通りすぎようとした真琴の腕を、操がつかんだ。
「ひとつだけ確かめさせて。真琴は先生のこと、本当はどう思ってるの?」
真琴の体が硬直した。不意にファーストキスの感触がよみがえった。思わず唇を指先で触れた。
(あたしが先生にキスしたことを、操は知っているのか……?)
振り返った真琴は、操とまともに目が合ってしまった。ひるんだ真琴を、操は真剣なまなざしで見つめている。答えを聞くまで手を離さないつもりらしい。
真琴は目をそらしたが、思い直して、もう一度、操を見つめ返した。
「先生は優しくて、頼りがいがあって、すごくいい人だと思う。それにちょっとかわいいと思うわ。それで……、それであたしは先生に恋をしたんだと思う。おとといから先生のことばかり考えていたくらいだからね。でも、やっぱり恋じゃなかったのかもしれない。だって年が離れすぎてるじゃん。自分でも笑っちゃうけど、恋に恋する乙女が大人の男性への憧れを恋と勘違いした、ってところかしら。もし年齢差が三つくらいだったら、きっと本気で操から奪い取ろうとしただろうけど。彼氏にするなら、あたしは年の近い人がいい」
微妙に恋人をけなされていると思ったのか、操の手に力がこもったが、すぐに手を離した。操は怒ったような口調で、
「だったら……、あたしたちが喧嘩別れする必要はないと思わない? 結局、あんたはあたしのために危険を冒そうとしてくれたわけだし、すべて誤解だったんだし、その誤解も解けたでしょう?」
「あたしのしたことを許してくれるの?」
「条件がひとつあるわ。あたしのこと、ぶって」
操が頬を差し出した。
「なに、それ。少年マンガがあるまいし」
「あたしの方が一発多く叩いたでしょ。だから、あたしをひっぱたいてくれないと計算が合わないじゃない」
何の冗談かと思ったが、操はいたって真剣だった。
「そうしたら……」
「許す。だから真琴もあたしを許して。あんたのことが好きだし、尊敬しているわ。真琴と親友でいられたことを誇らしく思う。だから、これからも友だちでいたいの」
胸の奥が震えた。こんなセリフを真顔で言える操のことが、本当にうらやましいと思った。
操のように生きたい。
操との友情を取り戻せるなら、なんだってしたいと思う。
考えてみればこれは辛い仕打ちだ。悪いのは自分なのに、許してもらうためには操にビンタしなくてはならないなんて。操はそれがわかってるんだろうか。
操ももう真琴を許していて、仲直りしたいと思っている。でも、友だちに戻るにはこの儀式が必要なのだろう。
「あたしも操と友だちでいたい。あんたのことが大好きだから」
そう口にすると、なぜだか涙がこぼれた。手で拭っても涙は止まらない。もちろん悲しいわけではないが、うれし泣きというわけでもない。なんだか分からないのに泣けてくる。
鼻をすすりながら真琴が手をあげると、操が目を閉じた。
そして、思いっきりひっぱたいた。
屋上に乾いた音が響いた。
操が頬を押さえながら、痛そうな目で真琴を見た。『昨日そんなに強く叩いたっけ』と、その目が訴えている。
「手加減したら怒るくせに」
真琴は泣き笑いしながら言った。
これでハッピーエンドだ、と思った。
ところがそう思った瞬間、屋上の鉄製の扉が音を立てた。振り返ると、扉のかげで聡子が尻餅をついていた。青ざめた表情で真琴と操の顔を交互に見ている。そのまま口をぱくぱくさせていたが、いきおいよく立ち上がると、一目散に階段を駆け下りていってしまった。
おそらく聡子は、真琴が操を呼び出したのを見て様子を探りにきたのだろう。朝から喧嘩しているらしい二人を心配して、というよりは、噂好きの聡子のことだから単に好奇心からだろうな、と真琴は思った。
「どうやら、聡子はものすごく大きな勘違いをしちゃったみたいだね」
と操が言った。
「あ、う、うん。そうみたいだね」
距離が離れていたから話の内容までは聞こえていないだろう。だが、真琴が泣きながら操を平手打ちしたところを目撃してしまったのだ。聡子はどう思っただろうか。
笑いがこみ上げてきた。おとといの朝、図書室で泣いている操を見つけたときのことを思い出したのだ。
操がほっぺたをさすりながら、
「あたしたちが教室に戻るころには、さんざん尾ひれのついた噂でもちきりだよ」
「ほっとけばいいよ。どうせ噂でしょ」
真琴がそう答えると、操は笑顔で真琴に手を差し伸べた。
「だめだよ。誤解は解かなきゃ。あたしたちが大の仲良しだって、クラスのみんなに見せつけてやるんだよ」
少し考えてから、真琴は操の手を取った。
「そうだね。その方がいい」
元どおりの関係に戻れたのだな、と真琴は思った。きっと前より互いに分かり合えるはずだ。もちろん言えないこともある。でも、それでいい。親友というのはそういうものだろう。
(次は本当の恋を見つけたい。操のように)
真琴は操の手をぎゅっと握った。
「行こう、操」
真琴と操は笑いながら、教室へと駆けて行った。
おわり
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