帰り際、一条さんは小川さんに五万円を払ってくれた。
小川さんが援助交際をするようになるかどうかはわからない。
虐待から救ってあげることはあたしにはできない。
ただ、そばにいてあげたい。そばにいてほしい。
セックスの気持ちよさをわかちあいたい。
それだけが、あたしたちに望めることだ。
だから、一週間もしないうちに、小川さんからお父さんの遠地転勤を知らされたときは驚いた。単身赴任になるそうだ。小川さんは戸惑っていたけど、
「とにかく親子がすこし離れて暮らした方がいいという、運命の神さまの計らいだよ」
と、あたしが言うと、納得したようだった。
その日の昼休み、ひとり屋上に出て一条さんに電話をかけた。
案の定、小川さんのお父さんが転勤することになった裏には、一条さんの暗躍があったようだ。
「俺のしたことはミーナちゃんにとって救いになっただろうか?」
「何が正解なのかはわからないよ。何をどうやったかは知らないけど、とりあえず、これ以上あの子が虐待を受けることはなくなった――と、思う。あなたはほかの人にはできないことをしてくれた。ねえ、またあたしと遊んでよ」
「なあ、沙希ちゃん。投資の格言にこんなのがある。『買いは家まで、売りは命まで』」
信用取引のリスクを表した言葉だ。あたしはちょっと考えて、
「援交で女子高生を買うような男は家庭崩壊する。一方、売る側の少女はいずれ命を落とすことになる、ってこと? そんなの織り込み済みだよ。リスクテイクしなけりゃ、自分で納得できる生き方はできない」
電話口で一条さんが大笑いした。
「やっぱり沙希ちゃんは面白い子だ。俺と友達になってほしいな。きみのことをもっと知りたい」
「タダってわけにはいかないよ。リピーターになってくれる?」
「もちろんだとも」
電話を切ってスマホをポケットにしまうと、よく晴れた空を見上げた。
風に春の匂いが混じってる。
このまま行った先に何があるのかわかってるなんて言うつもりはない。
けれど、あたしは自分が何をしてるのかわかってるよ。
校舎に入って階段を駆け下りた。そのまま廊下の角を曲がったところで、ひとりの男子生徒が飛び出してきて、
「うわっ!」
「きゃあっ!」
――ぶつかってしまった。またしても岩倉だ。
こんどはあたしが下になって廊下に倒れこんだ。
「み、美星、お前、いつもこんなところで何やってるんだよ」
「こっちのセリフだよ」
「俺は学級委員だから、地理の授業で使う地図の片付けを先生に頼まれてるんだよ」
「あんた、学級委員だったんだ。意外」
「ほっとけ。そんなことより、お前のせいで小川が俺をホモだと思い込んでるじゃねーか。訂正しろよ」
「そんなことより、さっさとあたしの上からどいてよ。ヘンタイ!」
女子生徒の胸をつかんでいることに気付いた岩倉が、あわてて飛びのいた。
「そ、その……、悪かったよ……、美星」
思わず顔がほころんだ。この人、いま勃起してた。
岩倉くんはあたしが援助交際してることなんてぜんぜん知らない。
小川さんが苦しんでることなんてぜんぜん知らない。
高校生らしい平和な日常に生きている。あたしには縁のない世界。
ニコニコしながらあたしが顔を近づけると、岩倉くんは顔を赤くして身を引いた。
ズボンの股間が膨らんでる。こないだのはちょっと驚いただけだったのかな。
「な、なんだよ」
「別に。ホモのウワサを立てられるのはイケメン男子の宿命でしょ。あきらめなよ」
ますます顔を真っ赤にして戸惑う岩倉くんを残して、階段を駆け下りた。
まあ、これもあたしの日常だよね。
第8話 おわり
[援交ダイアリー]
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