溶かしたチョコレートをバットに流し込むと、とりあえずは一区切りだ。優姫さんが指示してくれたおかげで、すんなりとうまくいった。ヘラに付けたチョコが固まる様子を見て、これなら大丈夫、と優姫さんと高梨さんが太鼓判を押してくれた。あとは冷蔵庫でしばらく冷やし、固まったら一口サイズに切って、ラッピングすれば完成だ。
ほかの女子高生たちもだいたい作業が終わったらしい。高梨さんをはじめ何人かは別のお菓子を作り始めているけど、たいていは後片付けを済ませて部屋から出て行く。
「固まるまでしばらく時間かかるから、学校の中を案内してあげるよ」
優姫さんに誘われて、あたしは家庭科室を後にした。
一階に下りて渡り廊下に出た。土曜日の午後だから、校舎の中は閑散としていた。遠くからランニングの掛け声や金属バットでボールを打つ音がかすかに聞こえる。優姫さんは何も言わずに、あたしの前をすたすた歩いた。校内を案内すると言っていたけど、どうやらあたしをどこかに連れていきたいみたいだ。何か緊張した雰囲気が伝わってくる。それであたしも黙ってついていった。
優姫さんは体育館につくと、開け放たれた扉にもたれて、中を覗いた。中では左手に女子バレー部が、右手に女子バスケ部が、それぞれ体育館を半分ずつ使って練習していた。シューズが床を踏みしめるキュッキュッという音と、ボールが床を打つ音、それに女子高生たちの掛け声とが響いて、体育館の中は活気に満ちていた。
優姫さんはバスケ部の様子に見入っていた。試合形式で練習をしているらしく、ゼッケンをつけた生徒たちがボールを追って激しく動き回っている。
「まりもちゃんはバスケットボールとか好き?」
「いえ、運動はあんまり得意じゃなくて……」
「ふーん」
そのとき試合を応援していたバスケ部員のあいだから歓声があがった。ポニーテールの少女がロングシュートを決めたのだ。
「わたしね、直人くんとは子どものころからなかよしだったんだ。だけど、中学にはいってから、なんか男の子として意識するようになっちゃって。恋なんだって気づいてからは、もう大変だったよ」
優姫さんは頭をかきながら照れ笑いした。
「そりゃあ悩んだよ。どんなに頑張っても、わたしは女の子にはなれないんだし、恋のスタートラインに立つこともできないんだもの。今はまだ親友どうしでいられるけど、もしも告白したら、わたしと直人くんはもう元の関係には戻れないんだろうなって思うし。そう思ったから、直人くんに恋する気持ちは、もうずっと自分の胸の中にしまっておこうと思ってた」
優姫さんは少し身をかがめると、あたしの顔を真正面から見て、続けた。
「だけど、やっぱり伝えたい。わたしが直人くんのこと、ひとりの女の子として好きなんだってこと。ただの友だちでいるのはもうイヤなんだってこと。だから、あした、わたしは直人くんに告白する。フラれてもいいから好きだって言う。わたしのこと、許してね」
そう言うと、優姫さんは背伸びをした。少し緊張が解けて、楽になったような表情だった。たぶん、妹であるあたしのことをずっと気にしていたのだろう。
あたしは優姫さんに負けている。それも周回遅れだ。優姫さんはもう何年もお兄ちゃんのことを想い続けているんだ。覚悟が違う。あたしはまだぜんぜん子どもだ。
さっきのポニーテールの少女がドリブルでディフェンスをかわしてシュートした。ボールがゴールに吸い込まれた。ふたたび体育館の中で歓声があがった。
「いま点を取った子ね、あのポニーテールの子。直人くんの好きな人なんだ」
優姫さんが言った。不意打ちだった。優姫さんが何を言ったのかすぐにはわからなかった。
「え……?」
「直人くん、前からあの子のことが好きだったんだよ。まあ、片想いなんだけどね」
優姫さんは笑顔で繰り返した。
お兄ちゃんに好きな人がいる……? そんなこと、今まで考えもしなかった。
「あの人のことでお兄ちゃんから相談されたんですか?」
「あははは。男の子は恋バナなんてしないよ。するのはワイ談。でもね、いつもそばにいるとわかっちゃうんだよね。好きな人のことだもん」
あたしはポニーテールの人を見た。バスケ部員たちの声援から、その人の名前がカズミさんというらしいことがわかる。腕を大きく振って笑いながら声援に応えていた。胸が大きいな。それに美人だ。優姫さんと雰囲気が似ている。
お兄ちゃんはああいう人がタイプだったんだ。ちっとも知らなかった。
「ちょっとだけだけど、わたし、希望も持ってるんだ。いつも近くにいるわたしの方が、遠くから見てるだけのあの子より、可能性があると思わない?」
優姫さんはそう言って、強がってみせた。
あたしたちはしばらくして家庭科室に戻った。チョコレートの仕上げをしてラッピングした。そのあとで高梨さんがフォンダンショコラをご馳走してくれた。だけど、あたしにはそれを味わう余裕がなくなっていた。
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