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カーナビの調子がおかしいのに気づいたのは助手席に座っていた睦実だった。
「ボクたち、山の中に突っ込んでるよ。ねえ美緒ちゃん、ナビのデータが古いんじゃないの?」
「あらあら、ホント。道なき道を進んでるわねぇ。でも先月、ディーラーさんに更新してもらったばかりなのよ」
ハンドルを握っていた美緒が、さして気にしている様子もなく答えた。
それまで後部座席で温泉のガイドブックに目を通していた彩香は、顔をあげてシートの間から身を乗り出すと、カーナビのディスプレイに目をやった。現在地を示すマーカーが道路から外れて、どんどん山の奥へと入っていくのが見えた。
ビルが林立する都会の真ん中では電波状態の悪さからカーナビが狂うことはよくある。しかし、いま走っているのは、よく開けた丘陵地帯だ。
「太陽フレアとかの影響かな。最近、ネットのニュースで読んだよ。この何日か電波障害でGPSが狂う可能性があるって」
彩香が言うと、睦実が感心したように「へええ」と漏らした。
「まあ、とりあえず道は一本だし、ナビがなくても迷うことはないわよね。高速を下りてから温泉宿まで十分くらいで着くはずだし」
と美緒が鷹揚に言った。
その言葉に窓の外をながめまわした彩香は違和感を覚えた。
確かに一本道だった。最近開通したバイパスなのか、真新しい舗装だ。センターラインが滑るように後方へ流れていく。ほかの車はいない。遠くに青くかすむ山並みが見え、道路の両側は草原が広がっていた。晴れた空には夏の雲が流れている。
どこまでもつづく道。どう見ても十分以内に到着できる範囲に温泉宿があるようには思えなかった。
「山梨にもこんな場所があるのねぇ。北海道にいるみたい」
と、気持ちよさそうに車を飛ばしている美緒が言った。しかし別におかしいとは感じていないようだ。
彩香はガイドブックを見なおしてみた。
「ねえ美緒、あたしたち、いま勝沼バイパスを走ってるはずだよね? ガイドブックに載ってる地図で見ると、もうちょっと街中を通ってる道のはずなんだけど」
「どうなのかしら。一宮御坂インターってところで下りるはずだったのに、わたしが間違えてひとつ手前の釈迦堂というところで下りてしまったから」
「道を間違えたのは美緒ちゃんのせいじゃないよ。ナビの指示どおりだったから」
と言う睦実に、彩香は手に持っていた地図を見せた。
「このガイドブックによると、釈迦堂インターなんてないぞ。あるのは釈迦堂パーキングエリアだけだ」
「ボクに言われてもなぁ。あーちゃんのガイドブックが古いんじゃない? 古本?」
「このあいだ買ったばかりだよ。むーちゃんが温泉旅行に行きたいって言い出してから、一緒に本屋さんに行ったろ」
「新しいインターチェンジができたんじゃないかしら。やっぱりナビの地図データが古いのね。こんどディーラーさんに苦情を言わなくっちゃ」
と、美緒は相変わらずの反応だが、睦実は何かおかしいと思い始めた様子で彩香を見た。
「ボクたち、もしかして道に迷った?」
「うーむ、どっちにしろもう街に入ってるはずなのになぁ。なあ、美緒、あたしたち、ひょっとして河口湖方面に向かってるんじゃない? もしそうなら方向が逆だ」
「とゆうことは、ボクたちはいま青木ケ原の樹海に迷い込んじゃったってこと? 樹海の中ではコンパスが効かないっていうよね。カーナビだって狂うんじゃないの?」
「まあ! 睦実ちゃんの言うとおりなら大変だわ。どうしよう、彩香?」
「あたしたちのまわりのどこに樹海があるよ? でも、明らかに道に迷ってる。美緒があと十分くらいって言ってから、もうとっくに十分たってるよ。一度、インターまで戻ってみようか。建物もないし、地図もカーナビも役に立たないんじゃなぁ」
「建物ならあそこに一軒あるよ。道の駅かな」
睦実が指さした先には、道路脇に一軒だけある大きな洋館風の建物が見えた。建物に遭遇するのは料金所を出てから初めてのことだ。民家ではない。道の駅にしては駐車場が狭すぎるが、何かの施設らしい。
「美緒、あそこにちょっと立ち寄って、道を訊いてみよう」
「そうね。やっぱり地元の人に尋ねるのが一番確かよね」
その建物に着くと、美緒が車を駐車場に滑りこませた。アスファルトに白線で駐車スペースが描かれているが、ほかの車は一台もいなかった。
車から降りた彩香たち三人は、建物の玄関前に据えられた飾り枠付きの看板の前に立った。
『ビューティー&ヒーリング ムー』
と、その看板には書かれていた。
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