あくる月曜日、あたしは授業の合間にギリさんに何通もメールを送った。内容は『次は英語だよ』とか『会えるの楽しみ』とか、そんな短い一言だ。メールするたびにギリさんはすばやく返信してくれた。それがうれしくて、次の休み時間にまたメールした。
さすがに授業中にメールを打つわけにはいかない。晴嵐高校は県内でも中堅の進学校だ。授業のレベルもそれなりに高い。期末テストが先週終了したとはいえ、ケータイをいじっていたらすぐに見つかるだろうし、見つかったら没収されるだけじゃ済まない。
学校では誰とも会話しなかった。恵梨香先輩や拓ちゃんのことは避けてた。三ツ沢さんはもうあたしに話しかけてこなかった。別に仲間はずれにされてたわけじゃない。壁を作ってるのはあたしの方だ。ほんとはさみしい。でも、どうにもできない。
放課後、家に帰って着替えた。選んだのはまじめな女子高生に見えるグレー系のブレザーの制服だ。援交用の通学バッグには替えのパンツ、コスメセット、コンドーム、唐辛子スプレー、それに現金。いつもどおりのお仕事装備。身元を示すものは何も持たない。ケータイはロックしてあるから簡単には身バレしない。もしも援交中に殺されてケータイを持ち去られたら、身元不明の遺体になるだろう。
きょうは援助交際じゃない。けれど、これがあたしだ。
コートにマフラーに毛糸の手袋を身につけて家を出た。もうすっかり暗くなっていた。
電車を乗り継いで、一時間ほどかけて待ち合わせの駅へ行った。約束の時間は午後六時。まだすこし時間がある。ベンチに腰を下ろして待った。
早く逢いたい。
そのとき不意にあたしの前に一人の男性が足を止めた。顔をあげると、ダークスーツにコートを羽織った中年男性が、優しい笑顔を見せて立っていた。
「沙希ちゃん……ですね? はじめまして。カタギリです」
「ギリさん……」
あたしは跳ねるように立ち上がっておじぎをした。
「さ、沙希です。お会いできてうれしいです。会ってくださってありがとうございます」
ギリさんが笑った。その笑顔があたしを包み込んでくれてるような気がしてドキドキした。ギリさんは背が高く、肩幅が広かった。すこし寂しげでハンサムな顔は、微笑むとなんだかかわいく思える。よく通る低音の声にアソコをくすぐられるような感じがした。
でも、服装がちょっとだらしない。シャツはきれいに洗濯してあるけど襟にアイロンがかけられていなかった。ネクタイのセンスもイマイチだし、コートもよれよれだ。
「お父さんみたい」
思わずそうつぶやいてしまった。
「じゃあ、行きましょうか、沙希ちゃん」
「あの……、手、つないでもらってもいいですか?」
ギリさんは戸惑いがちににっこり笑い、黒革の手袋をした手を差し出した。その手を取ると、ギリさんが握り返してくれた。なんだか照れてしまう。
連れていかれたのは、駅前の繁華街からすこしはずれた路地にある、オムライスのお店だった。小さくて家庭的な雰囲気の店内には、何組かの二十代のカップルがいた。
案内された席につくとギリさんはコートを脱いで手袋をはずした。いつもの癖で左手の薬指を確認した。既婚男性と援交したことは何度もある。遊び慣れてる人は浮気をするとき結婚指輪をはずさないものだ。ギリさんは薬指の付け根に絆創膏を巻いていた。
あたしは体温が下がっていくのを感じた。胸の奥に不信感がもくもくと広がっていく。
――ギリさんは結婚してることをあたしに隠してる!
隠す必要なんてないのに。
悩み相談なら結婚してることを隠す必要なんてない。
援交目的でも結婚してることを隠す必要なんてない。
でも、ヤリ捨て目的の男が、女の子をだまして呼び出す場合なら――。
「沙希ちゃん、きょう、時間は大丈夫かな? 遅くなるとお家のひとが心配しない?」
「遅くなっても大丈夫だって答えたら、ホテルに連れ込んであたしを犯すんですか?」
「え? きゅ、急にどうしたの、沙希ちゃん?」
「相談にのってくれるって言ってくれたからお会いすることにしたんです。心を病んでる子なら簡単にヤレると思ったんですか? 奥さんだっているのに」
「何を言い出すんだ。そんなんじゃない。それに、ぼくは結婚はしてないよ」
「結婚指輪のあとを絆創膏で隠してるじゃないですか」
ギリさんがあわてて左手を隠した。
「やっぱりそうですか……。変だと思ったんですよ。きのうレイプされたってメールしたとき、心配だから会おうとしか言わなかったじゃないですか。普通だったら、警察に行けとか病院に行けとか言うはずです。レイプのことはギリさんの気を引くためのウソだと思ったんでしょ? レイプ願望のある女子高生ならチョロい。そう思ったからあたしを呼び出したんですね」
がんばってそれだけの言葉を絞り出した。気丈なふりをしたけど、声が震えていた。
ギリさんは真っ青な顔をして黙ってしまった。図星だったんだ。
もうギリさんの顔を見ることができなかった。
「えへへ、まただまされちゃった。バカですね、あたし」
[援交ダイアリー]
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